理事長のコラム「本のある風景」

No.3 鬼塚喜八郎「転んだら起きればいい」

「アシックス」の創業者、故鬼塚喜八郎さん。復員して間もない1946(昭和21)年の正月、1通の手紙を受け取った。差出人は神戸の鬼塚清一、福弥という老夫婦。実は戦死した戦友の両親で、後に喜八郎さんの養父母となる人である。

◆喜八郎さんは異国の戦地で鬼塚夫妻の息子と約束を交わした。「もし、お前がここで死んで、俺が生きて帰ることになったらお前の両親の面倒を必ずみてやる」。死んだ戦友との約束を果たすため喜八郎さんは焼け野原の神戸へ行くことになるが、手紙は、戦死した息子から聞いていた友人との約束を知った老親からの〝お願い〟というべきものだった。
◆終戦まだ間もない、傷跡も深いころ。どうやって生きていけばいいのか、誰もが途方に暮れていたとき、戦友の親を養うという。「そんなこと、できるはずがない」と親兄弟は猛反対。しかし、喜八郎さんは「約束は守らないといけない」と鳥取から神戸へ。自分の決心を鈍らせないために鬼塚家の養子となった。
◆「鬼塚喜八郎」として初めて神戸の街を見たら、子どもたちはうつろな目で巷をさまよっている。「この子どもたちが運動靴を履いて元気に野原を走り、笑顔を取り戻してくれたら…」。鬼塚さんはそんな願いを作る運動靴に込めた。
◆創業時「オニツカタイガー」と呼ばれ、半世紀を経て〝世界のアシックス〟となったその誕生秘話は自著『転んだら起きればいい』(PHP研究所)などに詳しいが、鬼塚さんに学ぶのは「約束を守る」ことの尊さである
◆「謙虚」「寛容」「勤勉」。大切なものはいくつもある。だが「約束を守る」という〝徳〟は、その一番上にあるべきものではないだろうか。

理事長 富吉賢太郎

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