理事長のコラム「清和の窓から」

No.18 小堀鷗一郎さんに学ぶ

その得がたい奇跡的なご縁は一本の電話だった。ちょうど1年前の師走、まだ新聞社に在籍していた時のことである。

「東京から小堀鷗一郎と申します。実は、あなたが私のことを新聞で褒めてくれていたと、友人から聞きましてね。ぜひ、その新聞を1部、送っていただけませんか」

小堀鷗一郎さん。近江小室藩藩主で徳川将軍家の茶道指南役として知られた大名茶人、小堀遠州直系のご子孫で、父親は小磯良平、荻須高徳らと東京芸大で学んだ孤高の画家小堀四郎。そして母親は、あの文豪・森鷗外の次女杏奴。つまり鷗一郎さんは森鷗外の孫。東大医学部を卒業。国立国際医療研究センター長などを務めた著名な外科医である。

そんな小堀さんが、どうして?。それは、テレビドキュメンタリーで、訪問診療を続ける小堀さんの姿に感動、感嘆。私のコラムで紹介したからである。 今や死語になってしまったような往診。齢80という小堀さんは自ら運転、訪問診療を続けている。その姿をじっと見ながら、この人の教養、知性、情、ユーモア、思いやり。患者にかける言葉の一言一言。まさに一隣人のごとく。いったいどうすれば、このような人格が成されるか。人に寄り添うとは、この姿を言うのだろう。

テレビに映し出された寝たきりの老人。妻に先立たれ、40歳を超えようとする全盲の娘の介護に頼っている。経済的な心配。この先、娘が一人でどう暮らすのか、それが不安で入院を拒んでいる。「先生、○子がよくしてくれる。俺はうれしいよ」。小堀さんが返す。「そう、○子さんは感心だ。あなたの自慢だねえ」

やさしさにあふれている。診療が終わると患者と握手をする。手を握って離そうとしない人もいる。そんな時には笑顔で「じゃあ、また」と手の甲をさすって帰っていく。「医者も言葉を語る人であれ!」とは誰かが言っていたが、小堀さんこそ、まさに〝言葉を語る医者〟だと思った。

小堀さんから届いた礼状には、「長い闘病生活を送っていた妻も喜んでくれましてね。あなたのコラムは私にとって大きな意味を持つものでありました」。心根のやさしさに頭が下がる。そして、先日の手紙には小堀さんの日常が映画となって「佐賀・シアターシエマで12月27日から上映されることになりました」とあった。ぜひ、鑑賞したいものだ。

時代は新しくなっても、まだまだ差別や偏見がある。いじめがある。足の引っ張り合いがある。令和の時代、大切にすべきは、小堀さんの持つやさしさと思いやりの心ではないかと思うのである。

ちなみに、小堀さんの曾祖父・荒木博臣(森鷗外の夫人・志げさんの父親)は佐賀出身で江藤新平らと明治維新の時に活躍した武士で、後に明治憲法下では最高の司法裁判所でえあった大審院の判事をされた人物。
 偉大な文豪につながる、佐賀との縁を感じている。

理事長 富吉賢太郎

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