理事長のコラム「清和の窓から」

No.8 「清和」と大隈重信と夏目漱石

 「清和」の創立者・内田清一氏。校庭に銅像があります。亡くなって今年でちょうど80年になりますが、清和で学ぶ人は誰でも知っておかなければならない、とても大事な人です。ここでは親愛なる思いを込めて内田清一さんと呼ぶことにします。

 内田清一さんには、常吉郎さんというお兄さんがおられました。実は、常吉郎さんは高柳快堂という著名な画家の次男で、資産家の内田家に清一さんが生まれる前に養子に入った人です。このお兄さんが、明治25年ごろ、清和の前身といえる「必習学館」という男子の中等学校予備校を設立されたのです。

 弟の清一さんは15歳の時、当時の第一佐賀尋常中学校に入学するのですが、その年、明治29年、大隈重信が帰郷、ここで生徒たちに講話をするのです。翌30年、五高(熊本大学)の教師だった夏目金之助(後の夏目漱石)が佐賀と福岡の尋常中学校を参観。漱石が残した手記に「11月8日、第一佐賀尋常中学校で英語に関する講話」とあります。

 とすると、内田清一さんは、多感な15、16歳の時、一流の教育者二人との出会いがあったと想像できます。二人の話に耳を傾けながら、自分の将来を模索されたのかもしれません。教育者としての芽生え、と言ってもいいでしょう。

 そして、内田さんは大隈の早稲田で学び、家庭の事情で佐賀に帰り、佐賀中学や佐賀師範学校で柔道を教え、兄の常吉郎さんが亡くなられた後、「必習学館」の校主に。それが、明治43年の「高等女学校令」に沿って翌44年、「必習学館」を閉じて、今の「佐賀清和」につながる実科女学校を設立されたのです。

 歴史を知るのは大事ですね。創立者の思いを胸に、さあ、勉強しよう!。

理事長 富吉賢太郎

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