理事長の挨拶

 

佐賀清和学園理事長 富吉賢太郎

「青空にきず一つなし玉の春」。
江戸後期の俳人、小林一茶(1763―1828年)が詠んだ新春詠。身も心も引き締まる正月元旦の凜とした雰囲気が伝わってくる。

信州・信濃の生まれ。3歳の時に母親と死別。それから、父が再婚した義母にどうしてもなじめず江戸に出て奉公。そんな逆境にありながら、自然や生き物をしっかり見つめたこまやかな句も多い俳人の一人である。青く澄みきった“玉の春”という言葉から新年にかける一茶の思いが伝わってくる。

一茶とほぼ同時代を生きた越後の僧侶で、歌人でもある良寛(1758―1831年)が心情をぽつりと吐露した漢詩に「嚢中三升米 炉辺一束薪」というのがある。「布袋には施しをうけた三升の米。いろり端にはそこらで拾ったたきぎがある。これで十分だ。ほかにはなんにもいらない」と自らに物欲を戒めている。

良寛が晩年のおよそ20年間を暮らした新潟・越後に残る「五合庵」。その質素な草庵を訪ねて、その粗末さに言葉を失い、涙を流す人もいるそうだ。托鉢(たくはつ)に頼り、自然を友とし、無欲でひょうひょうと生きた貧乏禅僧の暮らしぶりが見えてくるからだろう。

2020年の年が明けた。令和2年の新春に「今年こそは‥」「今年も‥」と誰もが思うが、時には一茶と良寛という、遠い昔の“いやし人”に学んではどうだろうか。まずは、自らのきのうまでの来し方を振り返り、暮らしようの見直しをしてみよう。その先に、きっと何かが見えてくるはずである。そこから、新しい1年の夢を描き、歩きだそう。

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「佐賀清和学園」は1911(明治44)年4月、佐賀市与賀町に校主内田清一氏が創立された「私立実科女学校」が始まりです。その後、1924(大正13)年に「佐賀清和高等女学校」と改称。戦後の学制改革に沿って1948(昭和23)年「佐賀清和高等学校」となり、現在の学校法人となったのは1951(同26)年のことです。
近代日本の歩みそのままに明治、大正、昭和を経て平成から令和と、時代の変化に対応して今日にあることを誇りに思い、改めて本学園の歴史と伝統の深さ、重さを感じております。
女子教育から男女共学へ。また佐賀県内ではいち早く中高一貫教育に取り組んだ本学園の建学の精神は「人間性の涵養」。教育理念は「明」。そして、生活実践は「和顔愛語(わげんあいご)」。

学業の向上だけでなく、人として一番大切な教養・品格、礼儀・作法を身につけること。また「明」とは、自分自身へリフレインする「聡明であれ!」「明朗であれ!」という心のありよう。そして日常の合言葉は「常におだやかな笑顔と思いやりの言葉を」
中学、高校時代。長い人生において、この時期ほど心身の成長著しい年頃はないと思います。歓喜の達成感もあれば、時として打ちのめされるような挫折感を味わうこともあるでしょう。そのすべてが後々、「清和」に縁あった子どもたちの宝物になるような教育を心がけたいと思います。

2020年1月1日  理事長 富吉賢太郎

 

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