清和の窓から
理事長コラム「清和の窓から」107 文芸に親しむ
江戸城を築いた室町時代の武将・太田道灌(1432―86年)。足軽軍法にたけて、生涯敗北の苦渋を知らないといわれるほどの戦上手だったらしい。道灌、は、日ごろからそんな武勇を誇り、おごりも激しく、人情に通じないところがあったらしいが、実は詩歌にも優れていたという。
そんな歌人・道灌を生んだ逸話があります。あまりにも有名なので知っている人もいると思いますが、ここで紹介しましょう。
ある時、金沢山での鷹狩りの最中、にわか雨に遭った道灌。近くの農家にかけ込み、雨具を借ろうとしたが、そこで応対した娘さんは、一枝の山吹(ヤマブキ)を差し出し、恥ずかしげに黙って頭を垂れているだけ。無粋な道灌は、その娘の仕草が、何が何だか分からず、腹をたててしまう。
しかし、後に家臣から、それは「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき」という古歌に託して、その娘さんが、「私の家は貧しくて、お貸しする蓑(みの)ひとつないのです」との断りだったと聞いて、おのれの無学を恥じ入り、以来、道灌は和歌を熱心に学んだという。
これは、余りにも出来すぎたエピソードだとも思いますが、いやいや、こんな逸話に学ぶことが大事です。そして、とっさに古歌を思い出し、自分の思いを伝える素養を身につけていた娘さん、こうありたいとは思いませんか。
この逸話を「山吹の花だがなぜと太田言ひ」と詠んだ川柳を見つけた。この詠み手の感性に脱帽だが、歌人・道灌誕生の逸話を知らなければ、この川柳にある「太田」が道灌だとはわからない。実は、ここで告白ですが、文芸にたけた知人から、以前、そのエピソードを教えてもらい、川柳とか短歌や俳句、文芸の面白さ、おかしさ、奥深さを知った次第なのです。
県や新聞社主催の文芸賞や読書感想文コンクールで清和の中高生たちが入賞、入選して、その名前を朝刊で見ると嬉しくなりますが、日ごろから俳句や短歌、作文などいろんな文芸活動に親しむ人になってほしいと思います。そして同時に、ユーモアをこよなく愛する人であってほしいと願います。
理事長 富吉賢太郎