清和の窓から

2025.07.28

理事長コラム「清和の窓から」117 人権問題・・・まず知ることから

人権問題・・・まず知ることから

 

8月は佐賀県同和問題啓発強調月間です。これは人権・同和問題を正しく理解し、一人ひとりの人権が尊重される社会の実現をめざすための〝学びの8月〟ということで、県内各地でいろんな勉強会が開かれています。私たちも夏休みの間に一つでもいいから人権について考えたいと思います。

人権(human rights)とは、人間誰もが生まれながらに持っている権利ということですが、差別や偏見、いじめなど人権を踏みにじるような行為が後を絶ちません。なぜそうなのか! 差別やいじめを無くすためには、何でもまず知ることです。知らないことで犯す過ちと言ってもいいと思います。

と言うことで今回はハンセン病に対する差別について考えてみました。

 1907(明治40)年3月19日。この日に公布された「癩(らい)予防法ニ関スル件」。この法律が、途方もないほどハンセン病にかかった人たちを苦しめ、100年近くも世間から隔離してきたということをまず知っておきたいと思います。

どんな無慈悲な法律でも法は法。どこかでハンセン病の発病が分かれば、役場の衛生係が防護服でそこに押しかけ、家の辺り一面が真っ白になるほど消毒。患者は即刻、療養所に隔離。この強制収容で、人々はいや応なく「ハンセン病は怖い、恐ろしい病気だ!」という恐怖心と不安を増幅させていったのです。

全国13ヵ所に設けられた療養所。法律の名のもと、強制的に収容されたそこは療養所とは名ばかりの医療体制で、患者たちは外との交流を絶ち、孤独と苦悶の日常が続いた。「近寄るな!」「感染する!」などと、世間の差別があまりにもひどかったために、残された家族に迷惑がかかると、患者たちは親からもらった名前も捨てて、家族・親族とも縁を切って、みんな匿名で暮らしたそうです。

また、長い療養所暮らしの中で、患者同士の結婚は許されても、男性には断種が施され、妊婦の堕胎手術も行われました。法律による、この屈辱と苦痛は当事者でないととても分からない。まさしく人権侵害の法律だったのです。

戦後、ハンセン病は特効薬「プロミン」の開発で完治する病気になったというのに、日本では依然として法律によって強制隔離される「不治の病」のまま。世界各国では普通の病気として外来治療となったのに、日本は1953年8月、法律を廃止するどころか、またしても明治の旧法とほぼ同様の「らい予防法」を成立させ、この新法でもって非情な隔離政策を続けたのです。今から72年前です。

そして1996年4月。やっと「らい予防法」は廃止されたのですが、療養所の元患者たちの宿泊を拒否した「黒川温泉ホテル事件」(2003年11月)でも分かるように、ハンセン病に対する差別や偏見はなかなか消えないのです。

日本のハンセン病の悲劇。明治の初めから始まり、今なお消えないのは、そんな非情な法律があったことを知らないからです。のけ者にされた当事者の気持ちを知らないからです。差別・偏見、いじめを無くすために、まず知ることから始めましょう。

 

理事長 富吉賢太郎

 


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