清和の窓から
2021.01.08
No.36 おやじの弁当
登呂遺跡などの発掘に貢献した考古学者、故樋口清之さんの「おやじの弁当」というエピソードを知人から教えてもらった。とてもいい話だから、皆さんにもお裾分けです。
樋口清之さんは1909(明治42)年、奈良県桜井市の旧家に生まれた。小さいころから考古学に興味を示し、中学時代には専門雑誌に自分の勉強の成果をまとめて投稿するほどだった。誰もが認める勉強家で、考古学を極めるために東大から進路を変更し國學院大学へ。大学でも考古学、人類学に没頭。後に静岡県の登呂遺跡の発掘調査などに携わった。
そんな樋口さんの中学時代、クラスにすごい勉強家がいた。樋口さんも勉強したが、「あいつには負けそう!」。ある日、樋口さんは、その友人に思い切って尋ねた。「お前はどうしてそんなに頑張るのか、なんで?」
するとその友人は「おやじの弁当の中身を知ったからだ」と。聞けば、友人はある日、学校でいつものように母親が作ってくれた弁当を開けると、弁当にはごはんは半分しかなく、おかずは味噌だけ。「ええっ! これは俺の弁当じゃない。親父の弁当!」。思わず弁当のフタをかぶせた。そして、その弁当が、同じく母親が作った父親のもので、自分の弁当と間違えて持ってきたと分かった瞬間、体が震えた-と教えてくれた。
「俺の弁当は毎日、ごはんもおかずもいっぱい。なのに、おやじの弁当は…。父も母も、そんなことおくびにも出さず、おやじは毎日、俺の半分の弁当を持って外で働いている」。そう思ったら涙があふれて止まらなかったそうだ。樋口さんは、友人のその涙が勉学への決意になったと知ったという。いかがでしょうか。勉強、頑張るきっかけ。いい話だと思いませんか。
理事長 富吉賢太郎
2021.01.08