理事長コラム

2024.09.02

校長メッセージ 2学期 始業式

今日は松村圭一郎さん(岡山大学准教授)の『うしろめたさの人類学』に記されているエピソードを紹介します。松村さんが京都に住んでいたころ、スーパーなどでよく見かけた「おっちゃん」こと初老の男性に関わる話です。

 

おっちゃんがどこに住み、どういう暮らしをしているのかは分からないが、たぶんあまり風呂に入っていない。服も洗濯している様子がない。それでおっちゃんがスーパーに入ってくると店員たちは顔を見合わせて目くばせしながら苦笑いする。おっちゃんはいつもひとり。お惣菜を買って足早に店を出て行っていた。

 

あるときいつものスーパーにおっちゃんが入ってきて、いつものように店内を歩き回り始めたところ、ちょうどベビーカーを押した外国人の家族連れがいた。するとおっちゃんはその奥さんの前で立ち止まり、唐突に英語で話しかけた。

Where are you from?

I am from Canada!

Oh, Canada! Toronto?

No, Vancouver!

Oh! Nice!

おっちゃんは笑顔で Than you Bye! というと、レジでお金を払って急ぎ足で出て行った。

 

松村さんは、この二人の会話があまりにも自然で、そこに何の違和感もなかったことに驚きました。いつものスーパーでは、店員はこそこそと笑い、客はおっちゃんの存在に気づかないふりをして目をそらす。そこでのおっちゃんは「変な人」だった。でも「おかしさ」を作り出しているのは、おっちゃんではなく、周りにいるぼくらの方かもしれない。そう思えたということです。

周りの人間がどう向き合っているのかという、その姿勢やかかわり方が自分の存在の一端を作り出しているとしたらどうだろうか。僕らは世界の成り立ちそのものを問い直す必要に迫られる。そう松村さんは言っています。

 

これを読んで私は、二年前に紹介した中学三年生の松山陽奈さんの作文が思い浮かびました。改めて大筋を紹介します。

松山さんが通学で利用するバスに週2回、手押し車を持ったおばあさんが乗ってくる。バス停におばあさんの姿をみつけると、乗客の何人かから、ため息、舌打ちなどが聞こえ、車内が凍りついたようになっていた。おばあさんが乗車するには時間がかかるので、「みんな急いでいる時間に乗らないでくれ」、という無言の圧力。おばあさんは「すいません」と言いながらバスに乗っていた。

 

そんなある日、松山さんの隣にいたおじさんが、バスに乗ろうとするおばあさんに、「おはようございます。手伝いますよ」と声をかけながら、手押し車を持ち上げて、おばあさんに席をゆずった。おばあさんは満面の笑顔でお礼を言った。

このできごとがあって、次の機会に松山さんは意を決して、「手伝います」と声をかけ、おばあさんを手伝うことができた。その次の機会には同じように声をかける高校生があらわれ、二人でおばあさんを手伝うようになった。

また、おばあさんはバスを降りるとき、運転手さんに「ありがとう」というので、他の人たちも、「ありがとう」というようになり、バスの中が暖かい雰囲気になっていったという話です。(第40回全国中学生人権作文コンテスト 入賞作文集より)

 

いかがでしょうか。バス内の雰囲気を凍り付かせていたのはおばあさんではなく、ため息と舌打ちでした。つまり周りの人間のかかわり方と言動です。逆に、「手伝います」や「ありがとう」の一言がきっかけで、その場が暖かい雰囲気に変わっていったというのです。ほんのちょっとした言葉と行為が他人と自分を共に幸せにする大きな力になることがある。人の心を温かくする小さな行為が幸せへとつながる流れをつくる。そう思いませんか?

 

これから清和祭という大きな行事に取り組むにあたって、改めて周りの人を元気づける言葉を心がけてください。和顔愛語で行きましょう!


TOP