本のある風景

2021.12.09

「千の風になって」

「Do not stand at my grave and weep. I am not there I do not sleep…」と続く英語詩を芥川賞作家の新井満さんが翻訳し、曲をつけた。原詩の作者については諸説あるが、この詩はずいぶん昔から国を問わず深い悲しみを癒やす場で必ず朗読されていたという。

新井さんも歌っているが、テノール歌手の秋川雅史さんが歌って火をつけた。実は、この歌、新井満さんが、妻を亡くしたふるさと新潟の幼なじみ川上耕さんために作曲したそうだ。

48歳という若さで妻桂子さんを失った耕さんと3人の子ども。遺族の悲しみに新井さんは慰めの言葉もなかったという。桂子さんは生前、農業や環境問題、原発反対など人の命にかかわる運動に積極的に参加していたが、思い半ばで逝った桂子さんを追悼する仲間たちの文集に、この「千の風になって」の詩があった。

新井さんは何カ月もかかってその原詩となる英語詩を見つけ出し、独自の訳詩を書いた。それに曲をつけ、自分で歌った私家版のCDを作り「桂子さんをしのぶ会」で披露。仲間たちもみんな涙を流しながら歌ったそうだ。その歌を後に多くの歌手がカバーして大ヒットとなった。

10年ほど前、新井さんと話す機会があった。電通マンだった新井さんは作家、作詞家、作曲家、環境映像プロデューサー…。いくつもの顔があるが、あの時、「千の風・基金」について熱っぽく語った。

この基金は新井さんが取得している「千の風」の商標使用料をそのまま充てている。新潟の酒造会社が醸造する「吟醸 千の風」と、京都の平安女学院が販売している「お香 千の風になって」が売れる度に使用料が入る。新井さんはそのすべてを基金に回し、桂子さんが相談員をしていた「いのちの電話」などに寄付しているそうだ。

「たとえささやかでも世の人のために…。誰にでもあるでしょう、そういう気持ち」。相変わらず政界は今も〝政治とカネ〟で右往左往だが、金の使い方を心得ている人の生き方は、さすがである。

新井さんの先日の訃報を見て、ふっと思い出しましたので…。

理事長 富吉賢太郎

2021.12.09


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