清和の窓から

2024.06.13

「清和の窓から」93 〝辛抱〟って知ってるかな?

〝辛抱〟って知ってるかな?

 

桂小金治さんという落語家がいた。調べたら10年前、88歳で亡くなられていたから、中高生はほとんど知らない人だと思いますが、少しだけ小金治さんの思い出話を・・・。

 

テレビの尋ね人番組でよくもらい泣きしていた小金治さん。一度だけ生の話を聞いたことがある。本当に涙もろく、講演前に交通遺児の作文の朗読を聞いただけで顔をくしゃくしゃにしていた。

そんな人情落語家・小金治さんの父親は、とても物知りだったそうだ。東京は下町の魚屋で、「片手で錐(きり)は揉(も)めぬ」「上あごだけで飯(めし)は食えない」といった物言いで、「人は助け合いだ。一人では生きていけない」ことを教えてくれた。

そんな父親の思い出話が続く・・・・。

小金治さんは小学校のころハーモニカが欲しくて仕方なかった。しかし、いくらせがんでも「音ならこれでも出せる」とアカカシの葉っぱで「赤とんぼ」を吹いて、「さあ、お前もやってみろ」。3日ほど練習したが音が出ない。「もう、止めたっ!」と投げ出したら、こう諭された。「一念発起は誰でもできる。取りあえずの実行は誰でもする。一歩抜きんでるには、努力の上に〝シンボウ〟という“ボウ”を立てるんだ!」。

気を取り直して練習を続けたら、いつの間にか草笛が吹けるようになった。そして、その次の朝、小金治さんの枕元に小さな包みがあった。ハーモニカである。うれしくて父親の所へ飛んでいくと「〝シンボウ〟の〝ボウ〟に花が咲いたんだ」と。

後で母親に聞いたら「父ちゃんは3日も前に買っていたよ。でもあの子はきっと草笛が吹けるようになるから…」と黙っていたと知って、小金治さんは体の震えが止まらなかったという。

もの一つ買ってやるのにもこんなにも、わが子のために心を砕いてくれた親。一方で、子どもには、親に信じられることほど幸せなことはない。

「辛抱」と書いて「シンボウ(辛棒は当て字)」。漢字の通り、いろんな辛さをこらえ、頑張ることです。

 

理事長 富吉賢太郎


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