清和の窓から
理事長コラム「清和の窓から」99 Can you speak English ? 英語の勉強
英語の教科書を初めて手にしたのは、60年以上前の中学1年生の時。それから高校、大学と確かに英語の授業は受けたのだが、今もって、苦手である。いつも思うのは、英文を読む、書くはともかく、英語が「話せたら!」「聞き取れたら!」
恥ずかしいエピソードを一つ。もうずいぶん前の話ですが、旅先のイギリスからドイツへ飛行機で日帰りした事がある。目的は有田の町長さんから頼まれて、有田の友好姉妹都市東ドイツ(当時)マイセン製陶所の写真を撮ること。その目的は簡単に果たせたが、製陶所を後にし、ちょっと町を歩いていたら帰りの飛行場へのルートが分からなくなった。最寄り駅への道すら分からない。道行く人に身振りでぶり、必死で尋ねるが全く通じない。帰りのフライトの時間が迫る。途方に暮れたそこに、こっちへ来る日本人らしき人を見つけて、「ああ、助かった!」と、急ぎ駆け寄って話しかけたら、その人は中国人だったという、何とも情けないオチであった。
「文法を知らぬ幼子よくしゃべり(佐伯弘文)」という川柳を見つけた。覚え立ての言葉を思いつくまま、楽しそうにしゃべっている幼い子どもの様子が目に浮かぶ。幼子に母親がいろいろ語りかける、その言葉は、幼子にはまだ「音」でしかない。でもその「音」を、無心にそのまま聞き、反復、繰り返しているうちに、「音」の意味は後からついてくるのか、やがて幼子との会話が成り立っていくのである。
この川柳を英会話の勉強に当てはめると、まず、英語の言葉を「音」として聞く。次に「音」を繰り返し発す。そのうち、何となく意味が分かってくる。英語に関して「読む」「書く」は、その後からということだろうか。
記憶にある60年前の英語の授業は「聞く」「話す」より「意味は?」「文法は?」。英語のテストといえば英文和訳と和文英訳が主だったような気がする。で、そんなにテストの成績が悪かったとは思わないが、今になっても英語が自由に話せない、聞き取れない。「キャン ユー スピーク イングリッシュ?」と声かけられただけで、もうドキドキ。この年齢になって、実に恥ずかしいことである。
今や世界の公用語とされる英語。国際社会を生きていく皆さんにとって英語は必須条件です。今も昔も、英語学習は教科書の基礎基本が大切なのは言うまでもないが、私のように情けない大人にならぬよう、日々の英語学習、頑張ってください。やっと朝夕は秋めいてきましたね。勉強の季節です。
理事長 富吉賢太郎