清和の窓から
理事長コラム「清和の窓から」103 「ツヴィンガー宮殿」の思い出
「ツヴィンガー宮殿」の思い出
清和中の3年生は毎年、オーストラリアでのホームステーを体験しますね。若い時、文化も自然も、人の考え方も暮らしようも違う外国を体験することは、とても良いことだと思います。その体験は、ずっと後々まで、貴重な自分の宝物となるはずです。
と言うことで、今は一つの国になっていますが、かつて東西に別れ、往き来も困難だった旧東ドイツ訪問の思い出を紹介しましょう。
東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が築かれたのは1961年のこと。全長43㌔。まさに冷戦の象徴とされたこの壁が、東欧民主化の波の中で崩壊したのは1989年11月でした。強固な分断の壁を民衆の力で押し開けたのです。あの時、東西ベルリン市民がブランデンブルク門の上で歓喜の旗を揺らした映像は世界中に流されました。
それから半年後、変わりゆく国の混乱がまだ残る中、今は亡き青木類次・元有田町長らと、この国を訪問した。目的はマイセン製陶所の視察と古都ドレスデンにある「ツヴィンガー宮殿」の設計図を手に入れること。理事長室にある赤いコンクリートの破片は、紛れもなく、その時持ち帰ったベルリンの壁のかけらです。
興味ある人は見に来てください。
ドイツ東部の都・ドレスデン。とうとうと流れるエルベ川のほとりの美しい街。ザクセン地方に咲いた“ルネサンスの花”とでも言ったらいいのか、そこは宝石箱のようなきれいな街でした。白磁の町・有田の姉妹都市マイセン市のすぐ近く。豊かな水をたたえるエルベ川の水運を利用した商業都市でもあったが、16世紀以降は強大なザクセン王国の首都として繁栄したところ。
その街の中心部にあるのが「ツヴィンガー宮殿」です。ライオンのミルクで育ったという逸話を持ち、強王と畏(おそ)れられた権力者、フリードリヒ・アウグスト一世(1670―1733年)が20年の歳月をかけて築いた壮麗なバロック様式の宮殿。ヨーロッパ最高の宮殿建築の一つで、第二次世界大戦中、連合軍の大空襲で多くの王宮や大聖堂が瓦礫(がれき)と化した中で、奇跡的に全壊を免れ、荘厳な風格を今も誇っている。
有田にあるポーセリンパークは、この時、持ち帰った「ツヴィンガー宮殿」の設計図をもとに建てられたものですが、現地の「ツヴィンガー宮殿」は、アウグスト大王が収集した豪華な美術品や装飾品が並ぶ一大アートセンターでもあった。ラファエロ、ボッティチェリ、レンブラントらヨーロッパを代表する巨匠の名作の数々。そして、宮殿の地下倉庫には、日本・有田との交流を思わせる、おびただしい数の古伊万里がありました。およそ400年前、はるばる海を渡った有田の焼き物を見ながら「有田で生まれた焼き物がこんなにも…」と立ちつくしてしまった。
2024年も残りわずか。「人生は海図のない航海だ!」という人もいますが、若い人たちは、何か目標を決めて一歩一歩、しっかり歩いて行くことが大事です。これからの国際社会を生きて行く皆さんたちは、私たちとは比べものにならないくらいの多くのチャンスがあります。機会があれば、ためらうことなく何でも見て、感じてほしい。それこそが若者の特権だと思います。
理事長 富吉賢太郎