清和の窓から

2025.04.15

理事長コラム「清和の窓から」110 清和の偉大な卒業生・・・故谷口緑さんのこと

清和の偉大な卒業生・・・故谷口緑さんのこと

 

今年、創立114年となる佐賀清和学園。この間、卒業した人、つまり皆さんにとって偉大な先輩たちですが、その数はおよそ4万人になります。そんな多くの卒業生の中の1人、日本を代表する服飾デザイナーとして活躍した谷口緑さんのお話です。

谷口さんは、今年2月、百寿を目前にして99歳でお亡くなりになりましたが、谷口さんがお元気だったころ、「私のお弟子さんに、お菓子のようにきれいなドレスを縫い上げる人がいるのよ」と聞いた事がある。「それはもう神業。どんな難しいラインでも、その人の手になると見事に仕上がってくるのだから」と。

その人は山崎聡美さん。身長は120センチぐらい。生まれた時からの障害だそうです。でも、裁ち台に乗り上げるようにして一針一針、寸分の狂いもなく縫い上げていく。子どものころから「小さいからとても無理だろう」という、そんな同情や気遣いとは無縁の明るさが財産だったらしい。

武雄高校を卒業する時、「自分の体に合う洋服を作りたい」という山崎さんの切ない思いを知った植松福雄校長(故人)。「この子の願いをかなえてやってください」と佐賀市の服飾専門学校「緑ドレスメーカー」の谷口緑さんに手紙を書いた。胸打たれた谷口さんの決断で厳しい洋裁の道の扉が開いた。もちろん、わが子の自立を見据えた一点の迷いもない家族の愛の後押しも。

山崎さんの腕と手は普通の人の半分ぐらい。針が握りづらい。布も自在には持てない。何度縫ってもうまくいかない。遅い。指導にあたった谷口さんは何度も何度もやり直させた。妥協を許さない指導。しかし山崎さんは、いつもコツコツ、真面目に、一生懸命。

谷口緑さんの「服は体に合わせるのではなく心に合わせて縫いなさい」という教えを守り、難関とされる障害者の職業技能五輪、国際アビリンピック・プラハ大会の日本代表にもなった。「いろんな人の心に支えられての“勲章”です」と山崎さんは控えめだったが、その顔は自信に満ちていた。

「コツコツ、真面目に、一生懸命」。いつしかどこかに置き忘れてきた大切な暮らしようを教えてもらったような気がしますが、世の中には偉い人がいますね。頑張った山崎さん、それを指導した谷口さん、そして、自分の教え子の夢を叶えてやりたいと谷口さんに手紙を書いた植松校長先生。頭が下がります。

 

理事長 富吉賢太郎


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