清和の窓から
理事長コラム「清和の窓から」112 5月11日 「母の日」に思う!
5月11日 「母の日」に思う!
「つまずいた石を叱(しか)ってくれた母」「母という字のありて好きな苺(いちご)かな」。もう随分前の話になるが、作者不明の、何ともいえないこの句を元県立高校の校長先生から教えてもらった。実に含蓄ある俳句である。
石につまずいて泣き出すわが子に「よしよし痛かったねぇ、この石メーッ」と幼子をあやす母の姿が彷彿(ほうふつ)としてくるようだ。そして「西洋には“海よ お前の中にも母がいる”と歌っている詩人もいるんですよ」とも教えてくれた。
「母」は「女」に乳房を添えた象形文字だという。だとすると、苺の表面のゴマのような粒々を乳房に見たて、草かんむりを付けて「苺」という文字をつくった人には頭が下がってしまう。母に対する深い思いは昔も今も変わらない。
天才歌人と騒がれながらも経済的には恵まれなかった石川啄木は泣きながら母の歌を詠んだ。「たわむれに母を背負ひて そのあまり軽ろきに泣きて 三歩あゆまず」(『一握の砂』)啄木のように母を思う子も多いが、何をするにしても子の方が一番苦労をかけるのは母親である。熱を出せば寝ずに看病し、度々の“無心”にも黙ってこたえてくれる。子は親のことを忘れて突っ走るが、いつも子のために涙を流すのが母のようだ。
「母の涙には化学では分析できない深い愛がある」と言ったのは英国の科学者マイケル・ファラデー(1791―1867年)だった。
現代生活に欠かせないモーターの原理を発見したファラデーはある日、研究室で「この液体は何だと思う?」と一本の試験管をかざした。ざわつく学生たちに「先ほど、ある学生のお母さんが心配のあまり私の所に来られたが、愛情の深さに心打たれた。その時の母親の涙がこの中にある」
静まり返る研究室でさらに続けた。「涙を化学的に分析すれば少量の塩分と水分にすぎない。しかし、母の涙には化学も分析し得ない深い愛情がこもっていることを知らなければならない」(木村耕一・編著『親のこころ』)
「子が親孝行のまねごとを照れないでできる日」とは、国語学者金田一春彦さんの言葉だが、清和の皆さん、照れてでも、お母さん、おふくろ、かーちゃん…。すべての母に花の一輪を!
理事長 富吉賢太郎