清和の窓から

2025.10.30

理事長コラム「清和の窓から」122   元気、勇気をありがとう!

元気、勇気をありがとう!

 

スポーツの秋。部活の皆さんの頑張りが毎日のように届いて、元気、勇気をもらう日々が続いています。今日は盛り上がっているプロ野球日本シリーズと米大リーグ・ワールドシリーズにちなんで、遠い昔の野球の話しを・・・。

 「ポッと出の新人になめられてたまるか。打たれたらプロのノレンが泣く」。1958年4月5日、後楽園球場のプロ野球セ・リーグ開幕戦。国鉄スワローズ(現ヤクルト)の大エース、金田正一はマウンドに仁王立ちしていた。

バッターボックスには立教大学から鳴りもの入りでジャイアンツに入団した東京六大学のスーパースター、長嶋茂雄。ときめくゴールデンボーイ長嶋に対する三振奪取王・金田の火の出るような闘争心。結果はプロ第一人者から新人・長嶋が4打席すべてを空振り三振で切ってとられるという、まるで劇画のような、ドラマチックな勝負となった。

時と場所を移して1979年11月4日、大阪球場。日本シリーズ近鉄(現オリックス)―広島第7戦。4―3で迎えた9回裏、無死満塁。この窮地を怪腕・江夏豊の意地が歓喜のドラマに変えた。自ら招いた絶体絶命のピンチを三者三振に仕留めた瞬間、広島は初の日本一に。球史に残るこの息詰まる駆け引きを感動的に仕上げた山際淳司の名著『江夏の21球』はあまりにも有名である。

語り継がれる感動のスポーツドラマは数多いが、「球場は男の戦場だ」と言ったのは、生前ずっと〝ミスタープロ野球〟と言われ続けた長嶋の父親だそうだ。長嶋がまだ立大在学中のこと。病気で死期の近いのを悟った父は、大学野球で縦横に活躍する息子を枕元に呼び寄せ「球場は男の戦場だ。たとえワシに万一のことがあろうと、戦場を捨てて帰ってくるようなまねはするな」と言い聞かせたという。

事ほどさようにスポーツは厳しい。でも、スポーツは、する人、見る人、支える人を感動させ、元気をくれる。勝ち負け、結果だけでなく、きつい日々のトレーニングから得たものは後々、かけがえのない宝物になるはずです。ガンバロー! そしてみんなで応援しよう!

 

理事長  富吉賢太郎


TOP