清和の窓から

2022.09.12

No.65 ある少年の決意

清和祭、最高でした。オール清和の心意気、しかと伝わってきました。同時に、みなさん自身が明日への確かな力を手にしたことと思います。感想、書きたいこといっぱいありますが、古希をとうに過ぎた爺さんの私が「おうっ!」と、思わず声を上げそうになったのは、ことのほか盛り上がった裏コレクションのテーマ「昭和レトロ」。令和に生きる諸君から〝昭和〟という言葉が出ようとは・・・。そこで、思い出したセピア色の思い出を紹介します。

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「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや(以下略)」
室生犀星の代表作とされるこの詩は1913年、北原白秋主宰『朱欒(ざんぼあ)』五月号に発表された。東京での生活に幻滅し、ふるさと金沢に戻ったが、そこでも安住できずに再び東京へ。今度こそはと、そう決心した日の屈折した心情を詩にしたという。
2000年春、佐賀県内のある児童養護施設で暮らしていた18歳の少年が東京へ旅立った。少年には母親の記憶がない。物心ついたときに母親の姿はなかったという。5歳の時、父親が病死。祖母と2人になったが、小学2年の時、そのおばあちゃんも亡くなった。
それからは一時、親戚の家で世話になったが、その後、施設で暮らすようになり、高校卒業と同時に東京へ行こうと決めた。身よりもなく1人で自分の夢を実現するにはこの道しかないと、東京の大手新聞の販売店に住み込み、朝刊と夕刊を配達しながら専門学校に通うことができる「新聞奨学生」の道を選んだのだ。
私は、この少年の決意を佐賀県高校弁論大会で知った。たった1人、東京で大丈夫だろうか。「何かあったら」と携帯番号を書いたメモを手渡したが、少年は「連絡しなくていいように頑張ります」。そして、その言葉通り、今まで連絡はないが、あれから20余年、少年が夢を手にしたことを信じている。

若きころ、大切なのは夢を実現するための強い決意、志である。

清和祭が終わり、いよいよ高校3年生は目指す進学、就職に向かってこれからが勝負の時。本気になってもらいたい。もちろん、誰にでも人には言えない葛藤もあるだろうが、こんな少年がいたことを知れば、少しはみんなの本気度の後押しになれるかもしれないと、ふと思い出した遠い懐かしいエピソードです。

 

ここここここここここここここここここここここここ理事長      富吉賢太郎


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