清和の窓から

2022.11.14

No.68 目標はいつも自己ベスト!

 

今年の佐賀県高校総文祭。「文芸部5部門のうち、3部門で1席を獲得したのは清和文芸部史上初めてのことです!」という清和ニュースを読んで、「これは、すごい!」と声をあげそうになりました。今、まさに文化・芸術の秋、スポーツの秋ですね。美術や書、演劇、茶道、理科、英語、吹奏楽、そして12年連続総合優勝という放送部の快挙、もちろんスポーツ部活の活躍も含めて清和の躍動を頼もしく思います。

話変わりますが先日、有田町で開かれた「道徳を考える」という難しいシンポジウムに参加しました。まとめをまかされた私は、「道徳とは何か」というより、人はスポーツや文化活動に親しみながら、人としてとても大事なやさしさや思いやりの心を育んでいくのではないかと、いくつかの事例をあげて紹介しました。

やさしさと思いやり。その表現には相手に対する態度・行動、眼差し、言葉がけなどがありそうですが、ここでは何とも味わい深い「大和言葉」について少しだけ・・・。

昔、むかし。中国から文字を持った言葉が入ってくる前、文字を持たなかった私たちの祖先が使っていた言語を「大和言葉」と言いますが、それらにはさまざまな表情や味わいがあります。例えば、雨は雨でも「小雨」「霧雨」「小糠(こぬか)雨」。さらには「慈雨」「お湿り」。帰ろうとした人を引き止めるように降り始めた「遣(や)らずの雨」などなど。清和文芸部が短歌や俳句で見事1席の快挙ですが、「花冷え」「菊日和」「風花」などの季語はまさしく季節の香りが立ちのぼり、それだけでいろんな思いや情景が伝わってきます。

そんな大和言葉に「うらやましい」がありますが、長崎大の篠原駿一郎教授のエッセー「うらやましいは心の病?」を読んでドキっとしたことがあります。

それによると、形容詞「うらやましい」の動詞は「うらやむ」。「うら」は「心」。広辞苑で「うら」をひくと、確かに「心 表に見えないものの意」とあり、「うらおもてのない人」などと使います。また「やむ」は「病む」。そうすると「うらやむ」は「心を病む」となり、他人と比較して「うらやましく思う気持ち」は心の病気?ということなのです。

とても刺激的な指摘ですが、冷静に考えてみると、なるほど納得です。遠い、遠い昔、モノもなく精神医学もない時代に生きた私たちの祖先が「うらやましいと思うのは心の病だぞ」として戒めていたとは驚いてしまいます。

現代に生きる私たちは日ごろから不平・不満を何かと口にしますが、不平・不満の多くは他人と比べて、他人をうらやむことで生じていませんか?

人を見て頑張ることは大事ですが、他人との比較にとらわれ過ぎると辛くなり、時としてそれがねたみや憎しみとなり、せっかくの可能性を自らつぶしてしまうことになるのです。だから、人を見てうらやむより自分にできる最高のパフォーマンス、文化もスポーツも常に自己ベストを目指すことに全力を尽くすことが必ずや達成感と幸福感につながると思います。

「目標はいつも自己ベスト!」。この言葉は皆さんをさわやかに奮い立たせる魔法の言葉だと思います。

 

理事長 富吉賢太郎


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