清和の窓から
No.74 オオバコと人間の成長に見る〝競争と共存〟
日本の植物学の父と言われる牧野富太郎をモデルにしたNHK朝の連ドラ「らんまん」が面白いと話題になっていますが、オオバコという雑草は誰でも知っていますね。日本中どこの道ばたにも生えています。そのオオバコ、踏みつけ過ぎると枯れてしまうが、逆にまったく踏まれないと他の草に負けて絶えてしまう。そう、オオバコは程よく踏まれるから強く生き続けられるのだそうです。
10年ほど前、生物生態学の第一人者と言われた宮脇昭さんから聞いたのですが、「オオバコには〝命の掟(おきて)〟が濃縮されているんですよ」と、そのことを教えてもらいました。佐賀市の「どんどんどんの森」の植え込みや有明海に面した「干潟よか公園」(東与賀町)の植樹を指導した宮脇さんの森づくりの持論は〝競争と共存〟。樹木や雑木の混植と密植で木々を競わせ、結果としていつまでも強い自然の森をつくるのだそうです。
そこからのヒントですが、人も動物も、草や木も、すべての生き物は、どこかで少しの我慢、ストレスを強いられるぐらいがたくましく成長するらしい。人に踏まれないオオバコがいつしか絶えてしまうように、なんでも欲求が満たされるような快適条件は、むしろ「生存を脅かす危機」と考えていいかもしれません。生命の誕生以来、あらゆる生き物が何かに耐え、踏ん張って命をつないできたように、人間も我慢や競争から生まれる共存感情を受け入れることができるかどうか。宮脇さんはそのことを〝命の掟〟と言われていました。
ほんの少しの我慢ができない。ちょっとした注意や小言にめげてしまう。これが心配です。子どもにとって、いつになっても親はだいたいうるさい存在です。先生も先輩も時にはうるさい存在になるのが当たり前。親や先生のうるささは愛情の裏返し。でも、それに我慢ができない。およそ40億年という〝命の歴史〟。この途方もないほどの時間をつないでこられたのは、その時々に何かに耐えてきたからなのです。それができなかったら、とっくの昔に生き物は滅びていたかもしれません。
新しい年度のスタートにおいて、厳しい環境の中でこそ育ち、成長していくらしい〝命の掟〟というものを自分なりに考えてくれたらうれしく思います 。 理事長 富吉賢太郎