清和の窓から

2023.06.16

No.77 先生と生徒~安住和彦さんのこと

ふとした縁で知り合いになった札幌の元教師、安住和彦さん(故人)のことを紹介しましょう。少し長くなりますが、忘れられない人の思い出です。

昭和の初めに生まれた安住和彦さんは、生後間もなく父親と死別。三つの時、母親が再婚、家を出た。幼心に「母ちゃんはよその子の母ちゃんになるんだ」と思ったという。その後、祖父母に育てられたが八歳の時、大好きだった祖父が亡くなって安住さんの苦労が始まった。

生活保護がある時代じゃない。貧乏暮らしの祖母だけではどうにもならず、安住さんは、まったく知らないよその家に預けられた。その家の子どもたちから食事の時、いじわるもされたが、グッと我慢して、無言で食べた。学校でも「やい、親なし!」といじめられることもあったそうだ。そんな悔しい時ほど「親がいたらなあ」と、たたかれた痛さより、わが身の哀れさがこみ上げ、夜、布団の中で声を殺して泣いた日もあったという。

そういう生い立ちだから、どことなく暗い陰のある子どもだったのだろう。担任の先生はいつも、「安住、世の中には親のいない子はいっぱいいるぞ。勉強で頑張れ」と励ましてくれた。ある日、廊下を歩いていると、後ろから先生が「安住、腹が減ったら何か買って食べろ」と紙に包んだ十銭を、そっとポケットに入れてくれた。学校帰りに、先生からもらったお金の半分で干し芋を買って食べ、世話になっている家に帰って、二杯目のご飯をがまんしたことも。

安住さんは、この先生のことが忘れられず、いつしか「学校の先生になりたい」と思うようになったそうです。また、弁当のおかずを分けてくれる友達が一人いた。「つらい中にも、この友達のやさしさが自分を救ってくれた」と安住さん。たった一人でいい、寄り添ってくれる友達が尊いのです。

それからは老いた祖母を養いながら苦学し、小学校の先生になるという夢をかなえた安住さん。初任地は生まれ故郷の知床の小学校。そして三十年前、札幌西岡南小を最後に教壇を降りた。その時もらった手紙には、「出世とは無縁の教師生活でしたが、親のいない子をかわいがってやることができました」とあった。

「腹がへったら何か買って食べろ!」と十銭をくれた先生。また、弁当の時間に「これ、少しだけど食べない!」とおかずを分けてくれた友達がいなかったら教師になることはなかったという安住さん。人の一生を決めるような出会いの大切さですね。先日、講演に来てくれた鎌田實さんからのメッセージにもあった「1%を誰かのために!」。そう、人のためにできる1%は人によっていろいろあると思いますが、誰にでも出来る1%、それは人にやさしくすることだと思いませんか。

理事長 富吉賢太郎


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