清和の窓から

2023.07.21

No.79 夏休みには平和を考えてみよう!

吉田拓郎が歌った「夏休み」。歌詞がいい。皆さんも歌ってみてください。何ともいえない気持ちになります。そして、自分を見つめながら二学期へのエネルギーが沸いてくるかもしれません。夏休みは誰でも楽しいものですが、特にもの思う中学生や高校生にとって、その過ごし方によって、驚くほど成長する休みでもあるのです。

「嚢(のう)中三升の米 炉辺一束の薪」。江戸の貧乏禅僧で、歌人でもあった良寛(1758~1831年)は、自らの暮らしをこんなふうに詩歌に託している。「嚢」は「袋」のこと。袋の中にある、いくらかの米と、薪はそこらで拾った枯れ枝があればいい―といった良寛のつましい生き方が見えるようです。住まいを転々とした良寛ですが、晩年暮らした新潟・越後に残る「五合庵」など良寛の草庵を訪ねると、その粗末さには言葉もない。

8月は「平和を考える月」だと言われますが、長崎に投下された原爆で愛する妻を失い、自らも原爆症に苦しんだ故永井隆博士が幼子二人と住んだ住まい「如己堂」も、そのあまりの狭さに胸がつまってしまいそうです。長崎の平和公園のほど近く、この家の広さはわずか畳二枚。「己の如く隣人を愛せよ」と博士はここで療養しながら本を書き、子どもを育て、浦上の被爆者を励ましたのです。

この小さな「如己堂」に入って博士を見舞った佐賀の中学生たちがいます。昭和25年2月27日、長崎へ修学旅行にいった伊万里市大川中(現東陵中)の三年生150人。部屋があまりに狭かったため数人の代表しか入れなかったそうですが、病気の博士に直接、大川特産のナシを手渡したのです。

病床から上半身をもたげて「皆さんはこれからの平和日本を築く宝の子どもです」と喜んだ博士は、翌年の5月1日、43歳で亡くなったそうですが、伊万里の大川公民館には「大川の野山は見ねど梨の実の 甘きに想う豊かなる里」という博士の礼状が今も大切に掲げてあります。〝長崎の心〟といわれた博士との交流の証ともいえるこの色紙を見たことがありますが、かすかに変色した文字に目頭が熱くなるようでした。ご存知のようにフルーツの里・伊万里の特産のナシはみずみずしく甘い。病状末期、博士は、伊万里の中学生たちのやさしさと、ナシの甘さにどんなにか勇気づけられたことでしょう。

原爆が投下されたナガサキとヒロシマ。夏休みに、平和を確かめる一日の旅でもどうでしょうか!

理事長 富吉賢太郎


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