清和の窓から

2020.03.17

No.23  子どもと仕事とくらし

文芸評論家の荒川洋治さんから以前聞いたお話。荒川さんが文献をあさっていたら今から100年以上前、明治35年の「子どもたちの仕事と暮らし」についての記述にぶつかったそうだ。

少し引かせてもらうと、そのころ全労働者の13・1%が14歳未満の子どもたちだったそうだ。テレビドラマ「おしん」の年季奉公や子守といったものも含まれていただろうが、繊維工場などの場合は46%が幼年少女だったという。遊びや学校どころか、子どもたちが日本の労働の一端を担わされていた。今で言えば児童労働の悲惨な実態のようである。

一方で、しなやかでたくましい明治の子どもの姿も見える。仕事やお手伝いが遊びとうまく重なり合っている。例えば「竹の皮拾い」。近所にある竹やぶに入って竹の皮を拾い集め、それを売って家計の足しや、お小遣いに。竹の皮はお菓子やすしの包みとして利用するだけでなく、高級草履の材料になったからよく売れた。

「メイ捕り」というのもあった。〝メイ〟とは稲を食い荒らすメイチュウのこと。農家を悩ませたメイチュウの大発生。だから夏休みになると子どもたちにメイチュウの卵のついた稲の穂を抜き取らせた。「百本で一銭」。子どもたちは競って田んぼに入ったらしい。

「仕事を終え、縁側に両足を投げ出して抜き取った穂を数えるのが楽しみだった」という当時の子どもの感想が何ともいじらしいが、今の子どもにすれば、「それって、どこの国の話」と思うだろう。でも、そこに何かを学び取ってもらいたい。時代は変わったとは言え、「子どもにも仕事を」とは言わないまでも、日常の何か手伝いぐらいは大切にしたいものである。

理事長 富吉賢太郎

2020.03.17

 


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