清和の窓から
2020.06.19
No.28 厳しい言葉の先にある・・・
日本画家の故平山郁夫さんが東京芸大時代、学長の入学訓示に打ちのめされ、画家になるのはやめようと思った事があるという。あるエッセーで告白されていた。
学長は「君たちの中に輝く宝石の原石は1粒か2粒しかいない。それが誰か分からなかったからガサっとすくったのが君たちだ。石はいくら磨いても石である」と。平山さんは、自分はただの石ころだと打ちのめされ、指導教官に「絵をやめて、他の大学に行きたい」と相談したら、さらに追い打ちをかけるように「君の絵は池の底に足がついている。これ以上、下手になることはないよ」と一蹴された。
学長や教官の厳しい言葉の意図がどこにあったか分からないが、時代は違うとはいえ、指導者の言葉としては実に厳しい。だが、平山さんはそう言われて思い直した。「才能の底ついた石ころなら、ゆっくりはい上がっていけばいい」。そしてその通り、焦らず真面目に精進し、そして、日本を代表する日本画家に。
いかがだろうか。最近の教育現場では、こんな厳しい言葉はなかなか言えない。人にやさしいことはとても大事だが、例えば、「玉を磨く」には、真綿のような柔らかいものでは磨けない。石より硬いもので研ぐように磨かなければ光る玉にはならないということもある。
言葉の解釈と言うのか、とらえ方一つでこうも違ってくる。厳しい言葉の先に子どもの成長を描ける先生と、厳しい言葉から先生の思いを受け止め、歯を食いしばって頑張ることのできる生徒のいる清和学園の風景をつくっていこう!
理事長 富吉賢太郎
2020.06.19