清和の窓から

2021.08.27

No.46  明治のころの子どもたちの仕事とは?

文芸評論家の荒川洋治さんから聞いたお話を一つ。それは、探究心旺盛な荒川さんが、いつものように書斎で昔の文献をあさっていたら、「明治35年の子どもたちの仕事と暮らしについて」という文献を見つけたというエピソードで、明治35年だから今から100年以上前の昔の子どもたちの日常の話です。

少し引かせてもらうと、そのころ全労働者の13・1%が14歳未満の子どもたちだったそうだ。繊維工場などの場合は実に46%が幼年少女だったという。遊びや学校どころか、子どもたちが日本の労働の一端を担わされていたらしい。今で言う辛い児童労働の実態がそこに見えるようである。

だが、一方で、しなやかでたくましい明治の子どもたちの姿も見えたそうだ。仕事やお手伝いが遊びとうまく重なり合っていたようだ。例えば大阪周辺の子どもたちがやっていた「竹の皮拾い」。近所にある竹やぶに入って竹の皮を拾い集め、それを売って家計の足しや小遣いに。竹の皮は、そのころお菓子やすしの包みとして利用するだけでなく、高級草履の材料になったからよく売れたらしい。

「メイ捕り」というのもあった。“メイ”とは稲を食い荒らすメイチュウのこと。農家を悩ませたメイチュウの大発生。だから夏休みになると子どもたちにメイチュウの卵のついた稲の穂を抜き取らせたらしい。「100本で一銭」。子どもたちは競って田んぼに入って、小さな昆虫を捕った。これは、お手伝いと言ってもいいが、「仕事を終え、縁側に両足を投げ出して抜き取った穂を数えるのが楽しみだった」という感想が何ともいじらしい。

今の皆さんたちにしたら、「それ、どこの国の話」と思ってしまうかもしれないが、こんな昔の話を知っておくのも悪くはない。そこから今が見えることもあれば、学びもあると思うから。夏休みが終わりましたが、勉強以外に、家のお手伝いはしましたか・・・。

理事長 富吉賢太郎

2021.08.27


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