清和の窓から

2021.11.09

No.51 人権同和教育講演要旨(下)

人権同和教育講演要旨(上)の続きです。

人の話を聞いて、ただ聞き流すだけでなく、驚いたことや不思議に思ったこと、たった一つでも、もう少し知りたいと思うかどうか、ここが大事。この「なぜ?」が勉強、学びのきっかけになると思います。

◇北条民夫「いのちの初夜」◇

ハンセン病療養所という過酷な生き場所で命を削りながら『いのちの初夜』(角川文庫)を書いた北条民雄(一九一四―三七年)は、そのペンネーム以外は本名を明かしていない。当時、強制隔離された患者にとって世間との唯一の交流回路は文学活動であった。北条もそうであった。療養所から川端康成に作品を送り、支えられながら懸命に小説を書いた。「小説を書くよりほかに生き方がない」と声を殺して泣きながら書き続けた。

川端康成によって世に出され、戦前のベストセラーとなったのが『いのちの初夜』である。北条の評伝『火花』(高山文彦著、飛鳥新社)を読むと北条の叫びだけでなく、川端の献身的な援助が胸を打つ。入院費に困る北条に自らの財布から原稿料を払い、原稿用紙まで送ってやりながら励まし続けるのである。

療養所に入った主人公・尾田が初めて重症患者を見た時、隣の男がささやきかけるシーンが凄い。「ね尾田さん。あの人たちを人間だと思いますか。あの人たちは、もう人間じゃあないんですよ。生命そのもの、生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで滅びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう」

この部分、川端康成はどんな添削をしただろうか。療養所に入所した尾田という主人公に患者が語る言葉の迫力に息をのんでしまう。ハンセン病文学というジャンルがあるとすれば「後にも先にもこの作品を超えるものはない」(加賀乙彦氏)といわれる理由がわかる。

この作品が第二回文学界賞を受賞したのは1936年。北条はその賞賛に浴する間もなく翌年、23歳の若さで逝った。12月5日は謎を秘めて亡くなった天才作家の命日。感動と同時に差別のすさまじさを今、あらためて思う。

◇黒川温泉事件◇

志村康さんはいつものように演壇を後ろにのけ、パイプいすに座りながら語りはじめた。足が少し不自由だから演壇を前に立って話すのはつらいからだ。

佐賀市文化会館で開かれた「差別と人権を考える県民集会」。講師の志村さんは3年前、原告側の全面勝訴となったハンセン病国家賠償訴訟で熊本・菊池恵楓園原告団団長を務めた。あの裁判でその顔は全国に知られるようになった。佐賀出身ということだが、それ以上は明かしていない。

志村さんは昭和23年、恵楓園に入所して以来、本名を名乗ることもできないでいる。ほぼ一世紀にわたってハンセン病の人たちを強制隔離した「らい予防法」は廃止され、法的には差別はなくなったが世間の差別は今なお残り、親戚などに迷惑がかかることを心配するからだ。

ハンセン病の元患者の人たちの宿泊を拒否した「黒川温泉事件」から見えてくる差別の現状を語る志村さんの一言にハッとさせられた。「熊本県の入所者が黒川温泉に行こうと思ったのはただ温泉に入りたかったんじゃない。そこにふるさとの匂いをかぎたかったんです」

「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と詠んだ啄木ではないが、何十年もふるさとを離れ暮らしてきた人たち。ぼんやりとした湯気の向こうから、久しく聞いてなかった“お国言葉”が聞こえてくる。そこに身を置きたいという、ふるさとへの渇望。事件は、ふるさとの匂いに飢えていた人たちの切ない思いを奪い去ったと言っていい。事件後、入所者たちに浴びせられたおびただしい中傷の手紙の中に、そんなささやかな願いさえかなえてやることのできない非寛容の社会が映し出されている。

◇差別文書の綴り◇

これほど醜悪な言葉であからさまに人を攻撃する文章を見たことがない。黒川温泉ホテルの宿泊拒否事件で一方の当事者となった熊本・菊池恵楓園の入所者自治会が刷った『差別文書綴り』。全国から送りつけられた中傷の手紙、はがき、メールを事件の検証資料としてコピーした冊子である。

「会議資料ですから」と丁重に購入申し出を断られたが、知人の力添えで手にすることができた。匿名で投げつけられた激しい敵意と反感、憎悪や嫌悪はどこからわき出してくるか。人間の弱さか、自身も何かに傷ついていて癒やすことができずにいる反動なのか。

「のう天気な生活を毎日しているくせに人権だとか、えらそうなことを言うな。そのぶかっこうな外見、よくそれで人間だなんて言えたもんだ」「温泉なんか入って遊ぶ暇があったらボランティアで人の為になって、自己犠牲の仕事を死ぬまでやれ」「らい予防法がないころは家に居られずにルンペンしながら野たれ死んでいた。世間様に面倒を見てもらっているのを忘れなさんな」

じっと耐えていた弱者、少数の者がたったひとこと言葉を発した途端、雪崩をうつように浴びせられるすさまじい攻撃。悲しいことだが県内の消印も混じっていた。この冊子が出回ることで新たな差別が生まれることを心配する声もあるが、ハンセン病に対する社会の偏見がどれほどのものか、知ってほしくてあえて紹介した。人はなぜ人を差別するのか、これほどの教材はない。市販されればとも思う。多くの人が目にすることによって、投げつけた者も、自分の無知と差別意識の恥ずかしさに気づいてくれるかもしれないと思うからだ。

人権は勇気の問題です。言わなければいけないことを言う、言ってはいけないことは言わない。しなければいけないことをする、してはいけないことはしない。これが勇気です。

理事長 富吉賢太郎

2021.11.09

 


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