清和の窓から

2025.06.05

理事長コラム「清和の窓から」114   心温まる善行 元気をもらいました!

心温まる善行 元気をもらいました!

 

1300発の花火と500機のドローンによる華やかなショーで賑わった佐賀城下榮の国まつり。5月31日の夜のこと。大変な人混みの中に、孫に花火を見せてあげようと悪戦苦闘していたおばあさんがいたそうです。その姿を見かねた佐賀清和高校生の一人が、見ず知らずの、そのおばあさんの代わりに幼子を肩車してやった-というではないか! 学校に届いた一通の礼状で、そのことを知り、嬉しくなりました。「私の孫も、清和の高校生のようにやさしい高校生になってほしいと思います」ときれいな文字で書かれた礼状には、「お兄さん、ありがとう」と肩車してもらったその子の言葉も。この心温まる善行を知って、先生も生徒も、本当に元気をもらいました。

ということで、今回は「元気」という言葉について・・・。

 

「元気」は、古くは「減気」と書いたそうです。語源由来辞典などによると、その昔、“減気(気を減らす)”とは病気の勢いが衰え、快方に向かうことを表す言葉として使われたようです。

平安後期の説話集『今昔物語』に「日来ヲ経テ此ノ病少シ減気アリ」とあり、その意味がうなずけますね。それが江戸時代になると、病気が治る意味として「験気」という言葉に変わっている。井原西鶴が庶民生活の心得を書いた浮世草子『日本永代蔵』に「四百四病は、世に名医ありて、験気をえたる事」とあります。

それから時を経て、貝原益軒の『養生訓』には、今の用法に近い意味で「元気」が使われています。益軒は「常に元気を惜しみてへらさず」「静にしては元気をたもち」「動いては元気をめぐらす」と説いています。つまり、人にとって「元気」こそ一番大事なもので、日ごろから「元気」をいとしみ、欲望にとらわれず、体を動かせば元気も巡ってくるという教えです。

食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝るような“欲と怠惰”な日常は戒めなければなりませんが、身体だけでなく精神の養生も説いた貝原益軒。一人の清和生のやさしさが、こんなにも元気をくれたこと、学校全体でかみしめたいと思います。そして、学校の内外で、このような思いやりの行いが広がっていくことを願い、また、期待しています。さあ、みんなで元気を出しましょう!

 

                 理事長 富吉賢太郎


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