本のある風景
No.8 レイチェル・カーソン著「沈黙の春」
先日配布された令和元年度「進路の手引き」(佐賀清和高校)の中に、分野別推薦図書がありましたが、その中に、「★は過去3年間の入試小論文において複数の大学で出題された図書」というのが目にとまりました。その中の1冊「沈黙の春」。
鶏は卵を産んだがヒナはかえらず、リンゴの木はあふれるばかり花をつけたが、ミツバチの羽音も聞こえない。花粉は運ばれず、リンゴはならないだろう。どうしたことか自然は沈黙した。
「沈黙の春」は、そんな寓話ではじまる。山の鳥も、小川の魚もみんな死んだ。新しい生命の誕生を告げる声はもはや聞かれない。カーソンは「本当にこの通りの町があるわけではない。だが、多かれ少なかれこれに似たことが起こっており、やがてそうなる」と警告している。
1962年、今から57年前のことである。後に〝歴史を変えた一冊〟といわれるこの本は、環境問題を考える人たちのバイブルのように読み継がれてきた。温暖化も砂漠化も酸性雨も、今ある深刻な環境問題、すべては人間が自ら招いた災いなのだ―と教えてくれるからだ。
私たちはカーソンの警告に耳を傾け、一刻も早く問題解決のための手だてを見つけなければならないが、温暖化防止や保水、大気浄化などいろんな環境保全機能を持つ森林を守るための県の森林環境税などはその手だてのひとつだといえそうだ。
個人県民税に年間500円を上乗せし森を守るために使う税金。今まで人間が自然環境にしてきたことを思えば、それは負担と思うより当然の義務かもしれない。そう考えると、かけがえのない地球を守るため一人一人に何ができるかということも分かってくる。
「人間は賢すぎるあまり、自然を相手にするときには自然をねじふせて自分の言いなりにしようとする」と米国の文学者E・B・ホワイトが言ったように、慎むべきは思い上がりだ。今、問題になっているプラスチックごみなども、私たち自身が加担者だという自覚が大切である。
「未来の子どもたちは、化学物質の安全性を確認もせずに大量に使用した私たちを許さないでしょう」というレイチェル・カーソンの警告は実に重たく聞こえてくる。
理事長 富吉賢太郎
2019.07.13