本のある風景

2023.12.15

No.58 大江健三郎著「『新しい人』の方へ」朝日新聞社

本を選ぶとき、何を基準にするか、それは人それぞれでしょう。友達に勧められたからとか、書評を読んでから選ぶ人もいるでしょうし、たまたま手にとって、パラパラとめくって決める人もいるでしょう。私は、そうですね、表紙の〝帯〟を見て決めることがあります。短い言葉、的確な表現につられて、「よし、読んでみよう」となるわけです。

この本の〝帯〟は『「ウソをつかない力」をきたえて「意地悪のエネルギー」と戦う-子どもにも大人にも作れる人生の習慣』となっていました。何だか難しそうだなと思いきや、本の背に「ノーベル賞作家の役に立つ贈り物」とあったから、決めました。

この本は、大江健三郎が、主に中学生や高校生に読んでほしいと書いてくれたものだと、すぐ分かります。もちろん大人も読んで勉強になります。1ページ目から最後まで、分かりやすい話し言葉で書かれていて、とても読みやすい。そして難しいことも、かみ砕いてやさしく丁寧に説いてくれます。

例えば、大江さんが中学3年生の時読んで感銘をうけたガリレオ・ガリレイの『新科学対話』の説明。これは、今からおよそ300年前、アリストテレスの学問に詳しい学者3人の対話のかたちで書かれていて、実は読み解くのに、かなりの数学の力が必要なのですが、大江さんは同書の面白さを「・・・生き物を高いところから落としても平気でいる実例を、小さいものから大きいものへとあげてゆくところ。(1キュービットは約50㌢)犬は3、4キュービット、猫は10キュービットの高さから落としても平気なのに、馬を同じ高さから落とすと骨を折ってしまう。そしてコオロギは塔から落としても、アリは月の世界から落としても大丈夫(ここは冗談でしょう)」と、難解な科学の本をまるで童話のように解説しながら、そこに自分の子ども時代からの体験を加えて、「忍耐と希望」「生きる練習」「人の言葉をつたえる」「本をゆっくり読む法」などなど、メッセージを送ってくれます。

大江さんは、アメリカで起きた同時多発テロ(2001年9月11日)以後もアフガニスタン、イラク戦争。そして今もウクライナ侵攻、パレスチナとイスラエルの問題と、世界で争いが絶えないことを、「これは〝古い人〟の世界の現状」と憂えながら、これからは子どもたち、若い人たちに、とにかく敵意を滅ぼし、和解をもたらす「新しい人」になってもらうしかない。そして「新しい人」はできる限り大勢でなくてはならないのです―とこの本を締めくくっておられます。

大江さんの言う「新しい人」とは・・・。それは、これから日本を、世界を担っていく皆さん一人ひとりのことなのです。冬休みにお薦めの一冊です。

 

理事長 富吉賢太郎


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