本のある風景

2019.11.12

No.17 三浦綾子・著「孤独のとなり」

「人生には、学ぶべき教材が、ごろごろところがっている。学校を出ていないということもまた、一つの教材である」(「孤独のとなり」角川書店)

◆妻・三浦綾子のこの言葉に、夫の光世さんが感想をしたためている。「私は家の事情で小学校の教育しか受けていない。この私を綾子はいつも励ましてくれた。『学校を出ていないことも、一つの教材である』と言ったのは多分に私を思いやってのことであったろう。確かに最低の学校教育しか受けていないことによって、学び得たこともある」(三浦光世・著「愛つむいで」北海道新聞社)

◆三つの時に父と死に別れ、母もしばらくして家を出た。母方の祖父に育てられた光世さんが小学校六年生の時、担任の先生が「光世君を中学にやってほしい」と頼んでくれたが、家は北海道の貧しい開拓農家。親代わりの老いた祖父には到底できない相談だった。

◆というわけで光世さんは高等小学校までしか行けず、営林署で働いた。そんな境遇の中で、かみしめるように語っているこの言葉に胸が熱くなる。互いの思いやりとやさしさだけでなく、人の生き方と学び方について考えさせられるからだ。光世さんは社会に出てから機会があれば逃さず学び、学校に行かなかった分を取り戻した。

◆もちろん、人の生き方と学び方はいろいろで、こうあらねばならないということはないが、私たちは自身の恵まれた学びの環境に感謝し、しっかり勉強しよう。

理事長 富吉賢太郎

2019.11.12

 


TOP