本のある風景

2019.11.29

No.18 山本周五郎・エッセー「年の瀬の音」

市井に生きる名もなき庶民の姿をじっと見つめた山本周五郎。「師走は時を刻む音が聞こえる」という山本が1958年に発表したエッセー「年の瀬の音」(新潮文庫『雨のみちのく、独居のたのしみ』に収録)はいつ読んでも涙色に染まる。

◆年も押し迫ったある日、電車で仕事場へ帰る山本の前に赤ん坊を背負い、5歳ぐらいの女の子を連れた母親が立った。伸びて乱れた髪。青ざめた顔はこわばっている。眉間の深いしわ。絶望したようなまなざし。この母子を山本は見つめている

◆母親のスカートにつかまった女の子が「かあちゃん、おばちゃんに会えてよかったね、ねえ、かあちゃん」。しかし、じっと無言の母親。また女の子が「かあちゃん、ねえ、おばちゃんがうちにいてよかったね」。母親は邪険にスカートを振り放し「うるさいね」

◆山本は「この母子の短い会話が疑問の余地のないほどあからさまにその事情を物語っている」という。「おばちゃん」と母子の関係は分からない。だが母親は赤児を背負い、女の子の手を引いて「おばちゃん」を訪ねた。「おばちゃん」は家にいて会えたのだ。

◆母親から「さあ、おばちゃんに会いに行くよ」と連れて行かれた女の子にはそれで「よかった」。だが、母親にはよくなかったようだ。山本は「ここで自分の想像を組み立てようとはしない」とそこまでしか書かず読者の想像にまかせる。
恐らく母親は、この年の瀬に、いくらかの金の工面に行ったのだろう。しかし無心を断られた。母親の目的が分からない女の子には「おばちゃん」がうちにいたからそれでよかったが、目的を果たせず、幼子を抱えどうやって年を越すか途方に暮れるしかない母親の心の乱れが、女の子への邪険な言葉になってしまったのだろう。

◆60年前、山本が聞いた“年の瀬の音”。今の中高生たちにはどんな〝音〟に聞こえるだろうか、と想像している。

理事長 富吉賢太郎

2019.11.29

 


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