清和の窓から

2025.03.17

理事長コラム「清和の窓から」108  卒業式が終わって・・親の愛

卒業式が終わって・・親の愛

 

卒業式が無事、終わりました。素晴らしい卒業式でした。新しいステージに旅立つ姿、立派でした。同時に、わが子の成長を心から喜んでおられたご両親の姿にも感動しました。父の愛・母の愛を感じました。ということで「親の愛」の深さについて、少し・・・。

作家有島武郎には3人の男の子がいた。『小さきものへ』は、有島が幼くして母親を失った自分の子どもたちに、「前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ」と強く生きていくことを語りかけている。

東京の新橋演舞場。もう半世紀も前の学生時代、よくここで新派の舞台を見た。演じていたのは、既に故人となった森雅之と水谷八重子。若い人は知らないでしょうが、ニヒルな演技と渋いしわがれ声の森雅之。この人こそ有島の子息、『小さきものへ』では、まだ六歳だった長男・行光である。

幼い3人の子どもを抱えながら結核を患った有島の妻。母を慕う幼子たち。「抱いてやりたい。だけど、抱いたらこの子たちの命を奪うことに…」。そんなこと何も分からず、泣いてすがろうとするわが子への感染を恐れ、破けてしまいそうな思いをこらえ、血の涙を流しながら隔離病棟に入っていく。親子の絆、母の愛の強さ、命の尊さですね。

三浦綾子の長編『母』は、作家小林多喜二の母セキの生涯を描いたもの。明治の初め、13歳で結婚。小樽で小さな店を営み、病弱の夫を支えながら多喜二ら6人の子を育てたセキの愛と悲しみに胸が詰まる。治安維持法下、警察の拷問で死んだ多喜二。セキは「あんなにひどい殺され方をしなければなんないほど、そんなに多喜二の考えは悪い考えだったんだべか。小説書いて殺されるなんて…」と亡骸にすがって号泣するのです。

わが子を思う親の話はいくつもある。15歳で角界に入った第48代横綱大鵬(本名・納谷幸喜)の母キヨ。貧しい家計を助けるため体ひとつで“死闘の世界”に身を置くわが子がどんなに白星を重ねようとも決して本場所を見に来ることはなかったという。後に大鵬は自伝で「家のために体をぶつけているわが子の姿を母は見たくなかったんじゃないだろうか」と述懐している。野口英世の母シカの逸話も泣けてくる。いろりに落ち込んで大やけどを負った英世を農業のできない手にしたのは自分のせいだと「農業ができなければ学問で身を立たせるしかない」と昼夜いとわず働いて息子の学費を工面したそうです。

親の愛はかくも深いということを知っておいて下さいね。皆さんのご両親もそうなんですから・・・。

 

             理事長  富吉賢太郎


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