清和の窓から

2022.04.26

No.58 111回目の創立記念日

毎年、4月25日は清和の創立記念日となっていますが、改めて清和の歴史を振り返ってみましょう。

清和が創立されたのは1911年、明治44年4月。今から111年前のことです。明治の終わり、そのころは、どんな時代だったでしょうか!皆さんが良く知っている夏目漱石、有島武郎、武者小路実篤が、まだ現役作家として活躍していた時代。女性は津田塾大学の創始者津田梅子が、津田塾の前身となる女子英学塾を創立してから、ちょうど10年たった時です。

 

そして、女性解放運動の先駆者とされる平塚らいてふが雑誌「青鞜」を発刊したのが清和創立と同じこの年、1911年の9月です。清和は「青鞜」と同じ年齢なんです。覚えておいてください。その時、らいてふは、その雑誌で、女性が自分自身の考えをしっかり持つよう、訴えました。創刊号に書いた有名な言葉、これも覚えてください。

 

「元始、女性は実に太陽であった。 真正の人であった。しかし 今、女性は月である。 他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」

この言葉をやさしく説明すると、女性というのは、もともと明るく輝く太陽のような存在だったのですよ。でも、今は、太陽ではなく、青白い月のようです。さあ、本来の女性になりましょうという呼びかけ、アジテーションなのです。

100年以上も前、この強烈なメッセージが、その後の女性解放運動の道しるべとなりましたが、そんな時代に佐賀で初めてと言っていい、女学校として誕生したのが、この佐賀清和学園の始まりです。その時、皆さんの先輩になる38人の生徒が入学したのです。そして今、佐賀清和学園は中学生もいるし、高校は完全男女共学となっています。

歴史を知っておくこと はとても大切です。歴史を知っておけば、力がわいてきます。

今は18歳成人、選挙権もある時代ですが、まだ、女性には選挙権もなかった時代に 女学校を始めた人がいた。創立した内田清一先生は31歳の若さです。

その先見性といいますか、これからの社会を見抜く見識と勇気に頭が下がりますが、清和で学ぶ者すべてが、そんな歴史と伝統をしっかり胸に刻み、心を新たにするのが、今日、毎年4月25日の創立記念日なのです。

111年の時を経て、今、清和学園は完全男女共学の学び舎になりました。皆さんは、ここで学べることに誇りをもって、そして自信をもって将来の夢の実現に向けて励んでください。自分を産み育ててくれた親、そして自分が選び、学んでいる学校に自信と誇りを持つことはとても大切なことです。自分に誇りと自信があれば、堂々として意見が言えます。人に優しくなれます。素直になれます。ここで一生懸命に学んで、必ず、社会に貢献できる人間になってほしいと願っています。

 

理事長 富吉賢太郎


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