清和の窓から

2022.12.16

No.70 花火

初めての「清和花火」いかがでしたか。とても良かったですね。素晴らしかった。久しぶり、皆さんの弾ける歓声とどよめきに触れたような気がします。「清和花火」についてはホームページにありますので、ここでは「花火あれこれ」を少し・・・。

 

花火の歴史は10世紀の中国にさかのぼり、日本に伝わったのは諸説いろいろ。「菊の花びらの無数に舞い散るような光り いとをかし」と才気ある清少納言の感嘆の声もあるようですが、江戸時代からが特に盛んになったようで、将軍徳川家康をはじめ江戸城の主(あるじ)たちの目を楽しませました。吉宗の時代に両国隅田川の川開きの花火が始まり、またたくまに日本人の心をとらえ、浮世絵にも描かれるほど庶民にも親しまれて今に引き継がれています。

「どんなに美しく、芸術的な出来栄えであっても、あとに残らない。数秒と空にとどめることもできはしない」。夜空に浮かぶ一瞬の芸術に命をかけた田村仁三郎の生涯を描いた円つぶらさんの『花火師』(光文社文庫)には、日本の花火を世界の花火にした―と言われる花火職人・田村の情熱がいくつも散りばめられています。

長野県茅野市で生まれた田村は、「自作のサインを空に記すこともかなわない」と花火のはかなさを悔しがりながらも生涯、花火の魅力にとりつかれた。打ち上げるたびに何万、何十万の観衆のどよめきを感じながら、「どうだ、おれのつくった玉だぞ」と自分に言い聞かせ、その思いを昇華していったのである。

また、長岡や富田林など各地の花火の名所を歩き続けた放浪の画家・山下清は、その指先で田村が夜空に描いた花火の世界を後に残しています。夜空を焦がす大輪の花。河原を埋める群衆。軒を連ねた出店…。ミリ単位で色紙をちぎっては張り付けていく緻密(ちみつ)な作業を続けた山下は1971年の夏、「今年の花火はどこに行こうかな」とつぶやいて倒れ込み、そのまま49年の短い生涯を閉じている。

花火は音と光。そして歓声とどよめき。また季語としての花火は初秋もしくは夏となっているように、どうしても夏のころの楽しみと思ってしまいますが、冬の花火も「なかなか乙なモノ」ということを今回の「清和花火」で実感したような気がします。

「清和花火」に元気をもらって、さあ、みんな勉強、部活に励みましょう。

理事長 富吉賢太郎


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