清和の窓から
No.84 カニングハム久子さんのこと
久しぶりにカニングハム・久子さんのニュースを見た。東京の大学で講演されていた。カニングハムさんは現在、ニューヨーク在住のコミュニケーション・セラピスト。年1回は来日して各地で講演活動をしている。年齢は今年88歳。お変わりなく元気なようだ。
20年ぐらい前、佐賀に来られた時、知人の紹介で知り、以来、何度か会食もしたことがある。長崎県・五島生まれ。1967年に渡米しニューヨーク市立ハンター大で障害児教育修士号を取得。地元の医療センターで視聴覚臨床教育プログラム主任を務めるなどして、さまざまな子どもたちの発達障害の治療に携わりながら、親子関係や育児のありように警鐘を鳴らしている。
「子育てとは、親の知性と感情が端から端まで揺さぶられる一大事業」と言うのが持論。そのカニングハムさんとの思い出の数々。例えば、初めての対面で、「私はペガサスよ」と、もらった名刺には翼をつけた天馬があった。カニングハムさんは若い時の事故で、以来ずっと義足生活を余儀なくされた。生きる望みも失いかけていたとき「天に駆け上る白馬を見た」。まぼろしかもしれないが勇気がわいてきたという。何事にも悲観せず、前向きなのだ。
また、2005年に来日された時、たまたま見かけた、あるテレビCMのことをとても気にされていた。まだ生まれて間もないようなかわいい赤ちゃんにヘッドホンをかけて眠らせている某家電メーカーのテレビCM。カニングハムさんは、「音楽の効用はいくらもあるけど、これはとんでもないこと」「身体器官の発達が十分でないとき、こんなことをしたら鼓膜が伸びてしまう」。視聴覚臨床教育のエキスパートだけに指摘は厳しく、「このCMを見た親たちがまねをするかも」と顔を曇らせていた。
カニングハムさんが何事にも厳しいのは、自身、厳しい父親のもとで育ったかららしい。食事の時「迷い箸(ばし)、寄せ箸、涙箸はするな」とうるさかった。涙箸とはおかずの汁をポタポタ落とすこと。そんな日ごろの生活態度にまで口やかましかったが、一方で「俺は読み書きができたから、9歳の時から島で郵便配達をしてきた。この手を見ろ」と、節くれた手を見せ「お前には、たとえ1粒の米を4等分してでも学問をさせたい。学校に行かせたい」と子どもの学費を工面し、学ぶことの大切さを説くような父親だったそうだ。
厳しいが温かい親の小言が、子どもたちには一番の〝栄養〟になるという、カニングハムさんの教えを、親も子もかみしめたい。
理事長 富吉賢太郎