清和の窓から

2020.01.15

No.20  「ユニセフ」(国連児童基金)のこと

1日100円で1月3000円。ユニセフのマンスリーサポートの募金を続けてもう20年以上。自分にできることを少しだけ-ということで続けている。

「先生からユニセフ物資のことについてお話があった時、私達一同はおどろきと喜びにあふれた顔を、おたがい見合わせました。その日が来るのを今日か明日かと、まちこがれていたのですが、ついにその日がやってまいりました(後略)」

1949(昭和24)年。くしくも私が生まれた年だが、東京都文京区誠之小学校6年宮重弘子さんが「ユニセフ物資感謝の言葉」として書いたものである。以前、季刊「ユニセフニュース」224号の特集で、宮重さんの作文を読んだことがある。

小学生が書いたとは思えないしっかりとした文章。感謝の気持ち、給食への期待と喜びがあふれている。戦後の食糧難で子どもたちはいつもおなかをすかせ、みんなひもじい思いをしていた。そんな日本の子どもたちの窮状にユニセフは脱脂粉乳(粉ミルク)と原綿の支援を決めたのである。

支援物資第1号が到着したのは1949年9月18日の神戸港と10月1日の横浜港。粉ミルクは給食用、原綿は子ども用下着をつくるもの。食糧も下着も十分でなかったのだ。港では感謝の会が開かれ、会場は子どもたちの笑顔であふれたという。宮重さんは「ユニセフさん、本当にありがとう」と結んでいる。70年前の日本にそんな姿があったのだ。

今、日本で子どもの栄養失調など死語に等しい。でも、この地球上には70年前の日本の子どもたちのように、ひもじくて泣いている子どもたちがいる。そのことをまず知ろう。先日、届いた「ユニセフニュース」264号は「都市とスラムと子どもたち」を特集していた。知ることが行動につながっていく。

理事長 富吉賢太郎

2020.01.15

 


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