清和の窓から

2020.02.14

No.21  偉大な母の思い・・

以前、「野口英世の母シカさんの手紙」を紹介したが、今回は昭和の名横綱・大鵬の母キヨさんの話を。大鵬の本名は納谷幸喜。1940年5月、樺太に生まれた。15歳で二所ノ関部屋に入門。21歳で横綱となり、柏戸とともに「柏鵬時代」を築いた昭和の大横綱。

白系ロシア人の父は、大鵬が三つの時に収容所に連れて行かれ、それきりだという。母キヨさんは3人の子どもを連れ、命からがら樺太から北海道に渡った。電気も、水道も、食べるものさえなかった暮らしの中で子どもを守り抜いたキヨさんのことを語る大鵬の言葉の中にあった「一枚の布団」と「五百円札」

寒い冬の北海道。布団は一枚しかない。子ども3人がその布団に足を突っ込んで眠る。「母は明け方まで裁縫をし、寝ていなかったんじゃないか」。自分のことよりわが子のことを思い、食うものも食わず、着るのも着ないで、布団に横になることも我慢したのだ。

どんなに活躍しても相撲を見に来ることはなかったキヨさんから、序二段になったとき一枚の浴衣が送ってきた。「母が縫ってくれた浴衣は女物の洋服生地で仕立ててあった。その内側にポケットが付けられ、中に五百円札が入っていた」

どんな思いで送ってくれたのか五百円札。大鵬は目頭が熱くなって握りしめたという。体が資本の相撲の世界。「ひもじい思いをしてはいないか。腹が減った時はこれで何か食べろ」という親心が工面した“栄養費”に違いない。

いかがだろうか。時代は違うとは言え、親が子に寄せる思いは不変であってほしい。いつの時代も、親はわが子を思い、子はその思いに応えて頑張る姿が尊く、美しいと思う。

理事長 富吉賢太郎

2020.02.14


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