清和の窓から

2021.03.01

No.39  「卒業、おめでとう!」

新型コロナの感染拡大で、世界中が大変な1年となりました。

ワクチン摂取が始まりましたが、誰もが初めて経験する手強い感染症、この新型コロナのために、いろいろやりたかったのに、やれなかったことが、いっぱいあって、皆さんの胸の中には、今でも悔しい思いがあるかも知れません。しかし、新しい自分の未来を信じて、今から、また歩きはじめて欲しいと思います。

私はいつも、人の行いや、人の言葉に触れて人は学ぶものだと思っています。つまり、人は人と出会い、人の行動や言葉を通して自分を見つめ、そして、自分の歩く道を切り拓いていく・・・。

そう信じていますが、つい先日「一沈一珠(いっちんいっしゅ)」という言葉を知りました。この言葉は、海に潜って暮らしの糧を得ている海女さんは、深い、冷たい海に飛び込んで、一度潜ったら、必ず一つの真珠貝を見つけるまでは、どんなに苦しくても海面にはあがってこない―ということから生まれた言葉だそうです。

たとえ苦しくても、辛くても、決めた目標を手にするまでは、絶対にあきらめない・・・。なるほど、そうか。私はいい言葉だなあと思いました。

****

私はこれまで、いろんな人との出会いがありました。

その中で、二人のノーベル賞受賞者と直にお話をしたことがあります。一人は2002年のノーベル物理学賞の小柴昌俊さん。そしてもう一人は2008年、同じく物理学賞の益川敏英さんです。

小柴さんは、私が以前いた佐賀新聞の創刊120周年でお招きし、益川さんは、私が今も個人的に参加している勉強会「からつ塾」に来て頂きました。小柴さんは昨年11月、お亡くなりになりましたが、この偉大な二人の科学者の信念と生き方は、まさしく「一沈一珠」の言葉とダブってきます。

小柴さんは、中学に入学して間もなく、小児麻痺にかかって、歩くのが不自由になられたのですが、小柴さんは子どもの頃から、お父さんと同じ軍人になるか、音楽家になりたいという目標、夢があったそうです。しかし、これからと言うときに、病気になられた。体が不自由になっては軍人はもちろん、好きな楽器も持てないから音楽家にもなれないと、一時期、学校にも行かなかったそうです。

でもそんな小柴さんを、いつも励ましてくれたのが中学の理科の先生だったそうです。小柴さんは、この理科の先生のそばにいつもいたい、先生の話をもっともっと聞きたいと思うだけでなく、先生のようになるんだと、それを目標に勉強を続けられたのです。その思いが、中学の時から60年後、ついには世界で初めて太陽系以外で発生したニュートリノ、素粒子の観測につながったのです。

強い気持ち、心は益川さんもそうです。学生時代から「いちゃもんの益川」と呼ばれるほどの議論好きで、違った視点や仮説を提起しては結論を導きだすまで、とことん議論。益川さんもまた、目指した一つの真珠貝を取るまではの心意気、信念で研究を続けておられるのです。

皆さんたちは、清和高校を卒業、それぞれ、また新しい挑戦が始まります。そして、その挑戦は、恐らく思い通り、順風ばかりでないと思います。でも人間は、逆風の時、逆境に押しつぶされそうになった時、その時、どうするか、どう気持ちを切り替えるか、それが大事です。「いかなる教育も、逆境から学べるものにはかなわない」という言葉もあります。

誰でも苦境に陥る。厚い壁が立ちはだかる。それが試練です。

きつい、苦しい、辛い・・・・。

どうしていいか分からない。どうすればいいのか・・・

本当は、清和で学び、清和を卒業する皆さんたちには、「清和の時代はよかった。もう一度、あの時代に帰りたい」などと、思うような事もない、それこそ、清和の時代を踏み台にして、これからの毎日は、きのうを振り返ることなく前を向いて、歩いてほしいと願っています。

でも、どうしても、どうしても前に進めない、歩けない。ひとり途方にくれて立ち止まった時は、清和の友達や清和の先生のこと思い出してください。そうすれば、何とかなります。私は、いろんな思い出は、そういう時のためにあるものだと思っています。何度も言いますが、これから順風ばかりではない。いろんなことがあると思います。

しかし、どんなことがあろうとも、必ず一つの真珠貝を見つけ出すんだーという心意気、そういう生き方をしてほしいと思います。清和で学んだ人たちは、誰でも逆境から学ぶ備えを身につけていると信じております。清和で学んだことに自信と誇りをもって、これからもそれぞれ自分らしく、未来に向かって歩いてください。これが卒業する皆さんへ贈る激励の応援メッセージです。

※表彰式の時、皆さんに紹介した贈る言葉を再度おこしたものです。

理事長 富吉賢太郎

2021.03.01

 


TOP