清和の窓から
No.43 悔しさ、苦しさを乗り越えた先に・・・
「清和の窓から」№4は、演出家・浅利慶太さんが劇団員たちにいつも言っていた「世の中は不公平だと思え」という言葉を紹介した。何でも公平に、平等にというのは、とても大切なことだが、何かと手強い社会を生きていくには、理不尽なことも時と場合によっては人間の成長には必要だ-ということだが、今回は、また別の人の言葉から同様の教えを思い浮かべた。
新聞記者出身で小説家の佐藤紅緑。誰もが知る詩人サトウハチローの父親で、紅緑は几帳面にしたためた日記を残し、その時々の世の中を映し出してさすがである。例えば、
「本郷西片町より高台の方を仰ぎ見れば、並びなせる下宿屋の桜上桜下、無数の窓、我に向いてもの言うが如く灯明らかにともされたり。この多くの窓の中のいずれかの窓より未来の偉人傑士出る事ならんと思えばひとしおに懐かしき心地す」
ちょっと古めかしい文章だが、1905(明治38)年4月に書かれたもの。紅緑は下宿屋の窓の明かりを見ながら、夜遅くまで一生懸命勉強しているだろう苦学生らの姿を想像し、 「頑張れ、いずれ君たちの時代が来る」との思いを込めて記したに違いない。そして、この日記を読んだ紅緑の娘、作家の佐藤愛子は『われわれが「考える葦」でなく なったこと』(「新潮45」)の中で「日本が貧しくて矛盾に満ちていた当時は、その貧しさゆえに誰もが考え、不如意と闘った。しかし、その苦悩が若者たちに青春の輝きを与えていた」と述懐している。
浅利慶太や佐藤愛子が言うように、生きることは素晴らしい。だが、いいことばかりではない。苦しいことも、歯がゆい思いをすることも多い。誰でもそうである。しかし、理不尽だと思うその時、どう身をこなす教養を身につけておくか、これが大事。「その苦悩が若者たちに青春の輝きを与える」と佐藤愛子が述懐しているように、思うどおりにならない苦しみの時こそ自分を見つめるチャンスと考えてみるのだ。厳しい言い方になるが、思うにまかせぬ現実に苦しんだ先に明日があると信じてみよう!
理事長 富吉賢太郎
2021.06.29