清和の窓から

2021.10.21

No.48  教養の時間の講話(上)「やさしさ」「思いやり」そして「にも・かかわらず」

先日の「教養」の時間でお話しましたが、リモートで聞き取りにくかった人もおられるかも知れません。上下2回にして再録します。長いので時間があるとき、ゆっくり読んでみてください。

◆ ◆

今から教養の時間ですが、司馬遼太郎さんのお話をしましょう。司馬さんは新聞記者出身の作家で、評論家。「龍馬がいく」「坂の上の雲」など歴史小説が多いのですが、その司馬さんのエッセーに「21世紀に生きる君たちへ」というのがあります。

このエッセーは、ミレニアムを10年後に控えて、21世紀を生きていく若い人たちへのメッセージですが、偉大な作家の熱い思いが今でも伝わってくるようです。人が生きて行く上で、大切なモノは、時代が流れても変わらないのではないか、と思います。

清和で学ぶ皆さんは、既に21世紀を生きていますが、これからも21世紀のど真ん中の国際社会の中で生きて行かなければならないのです。その時に、自分をしっかり支えてくれるような哲学といいますか、頼りになるモノ、よすがになるモノ、かけがえのない思いといったモノ。それは、時代がどんなに過ぎようと、変わらない・・・

としたら、司馬さんのメッセージは、今の私にも参考になるし、皆さんも参考になると思いまして、今日の教養の時間に、ぜひ、紹介してみたいと思いました。よろしくお願いいたします。それでは、まず書き出しを読んでみます。

私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。 私は、両親を愛するようにして、歴史を愛している。 歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、 「それは、大きな世界です。かつて存在した、何億という人生が、そこにつめこまれている世界なのです」と、答えることにしている。(中略)

以上、これが書き出しの部分ですが、この書き出しで、ハッとするのは、「私は、親を愛するようにして、歴史を愛している」という部分です。
私たちは、日ごろ自分の親に対して、こんな思いはあるだろうか!
皆さんは、いかがですか? 親への思い、親への感謝! 実は、勉強もスポーツも、友達関係も、若い時にとても大事なことですが、その根っこのところは、自分の親を大切に思うことから始まるということを、司馬遼太郎は、「私は、親を愛するようにして、歴史をずっと愛している。歴史が好きだ」と言うのです。

私は、すごいなあと感動します。そう思いませんか!

思春期というのは、何かと親に反抗する、また、先生や大人にも反発してしまう。それはそれで、人間が成長して行く上で、誰もが通る必然の過程かも知れませんが、ただ、反発・反抗はしても、その根っこのところには、やはり自分を産み育ててくれた親への感謝の気持ちが、1ミリでもあるか、どうか。親への感謝の気持ちが、あるかどうかで、自分の将来が大きく違ってくるということを、この書き出しから感じてもらいたいと思います。

それでは、親とはどういうものか、参考のためにすごい親の話を、紹介しましょう。私が以前書いたコラムですが、全く目が見えない、音が聞こえない障害を乗り越え、初めて東大教授になった福島智さんと母親の話です。

ぼくが、光と音を失ったとき、そこには言葉がなかった。そして世界がなかった。ぼくは、闇と静寂の中でただ一人、言葉をなくして座っていた。そして、あるとき、ぼくの指にきみの指がふれたとき、そこに言葉が生まれたのです。

これは、9歳で失明し、18歳で聴力も失った東大教授・福島智さんが、指点字に出会った喜びを、後につづった詩の一部である。何も見えず、音も聞こえず、真っ暗な“真空状態”から指点字によって救われた福島さんの感動が、そのまま伝わってくるような詩だが、この詩の中に出てくる「きみの指」とは、福島さんの母親・令子さんのことである

福島さんが普通に小・中・高校、そして大学で学び、教授として今あるのは、相手の指を点字のタイプライターのキーに見立てて会話をする「指点字」を母親・令子さんが発案したからだという。そして、今や指点字は、全く目が見えない、音が聞こえない人たちにとって最高で、最善のコミュニケーション手段となっているそうだ。

いかがですか! この福島智さんと母親玲子さんのこと・・・。

福島さんの母親・玲子さんは大切な自分の子ども智さんの目が見えなくなった時、転校を勧める学校に対し、この学校で学ばせたいと懇願されたそうです。

「お願いですから、このまま、この子を、この学校に通わせてください」。 そして、学校から出された通学の条件は、点字の教材もテスト用紙も学校では用意できない。「どうしても通学をというのなら、自分で用意してください。できますか?」ということだったそうです。

それで、玲子さんはどうしたか。

玲子さんはわが子のことを思い、「分かりました」と、自分で点字を習い、教科書を点訳。そしてテストの時は、試験問題が配られると、それをまず、自分が受け取り、猛スピードで問題を点訳。そして、それを智さんに渡したというのです。凄いですね!

もし、学校から「点字の教材は、あなたが用意してください」と言われたら、「そんなことできるもんですか、学校は無責任じゃないですか」と、親としては抗議したいのが普通かもしれませんが、わが子のためなら、どんなこともいとわない、こんな親もいるということを知っていて欲しいと思います。親の懸命な姿、これが子どもをも真っ直ぐに育ててくれるような気がします。

もう一つ、今度は親を思う、子どもの気持ちです。

先日、大相撲の白鵬が引退しましたが、平成・令和の大横綱・白鵬に対し、昭和の名横綱と言えば大鵬という、すごい力士がいました。皆さんたちは、ほとんど知らないかも知れませんが、大相撲・幕内優勝の最多記録は、白鵬が破るまで、長年、大鵬の持つ記録が断トツの一番でした。それほど強かった大鵬!

そんな大鵬が、まだ、土俵の上で泥まみれになって、歯を食いしばって頑張っていたころ、自分の母キヨさんからもらった500円札についてのエピソードです。親の気持ちを、くみ取ることのできる、こんな、子どももいたのかと、感動してしまいます。

大鵬と500円札のエピソード

ずいぶん前のこと、ある週刊誌に、第48代横綱・大鵬が亡き母親のことを語っていた。横綱・大鵬、本名は納谷幸喜(なや・こうき)。大鵬は1940年5月、樺太に生まれた。15歳で、苦しい家計を助けるために二所ノ関部屋に入門。21歳で横綱となり、柏戸とともに「柏鵬時代」を築いた昭和の大横綱である。

白系ロシア人の父は大鵬が三つの時にスパイ容疑で収容所に連れて行かれ、それきりだったという。母親キヨさんは3人の子どもを連れ、命からがら樺太から北海道に渡った。電気も、水道も、食べるものさえなかった暮らしの中で 3人の子どもを守り抜いたキヨさんのことを語る大鵬の言葉の中に、「一枚の布団」と「五百円札」のことが、今でも私は印象にのこっている。

寒い冬の北海道。大鵬の家には、布団が一枚しかなかったという。夜になると、子ども3人がその布団に足を突っ込んで眠るのだ。そんな子ども時代のことを大鵬が語っていた。「母はいつも明け方まで裁縫をし、自分の記憶の中に眠る母はいない」と。自分のことより、わが子のことを思い、食うものも食わず、着るのも着ないで、布団に横になることも我慢した母・キヨさん。

キヨさんは、大鵬が厳しい大相撲の世界で、どんなに活躍しても、相撲を見に来ることはなかったという。家のために体をぶつけてお金を稼いでいるわが子が不憫で、とても見ることができなかったかもしれない。そんなキヨさんから、大鵬が序二段になったとき一枚の浴衣が送ってきたという。

大鵬が語っていた。「母が縫ってくれた浴衣は女物の洋服生地で仕立ててあった。本当なら真新しい綿の浴衣を、と思ったろうに、それが買えなかったのだろう。その古い洋服生地で仕立てた浴衣の内側にポケットが付けられ、中に五百円札が入っていた」

どんな思いで送ってくれたのか母からの五百円札。大鵬は目頭が熱くなって握りしめたという。体が資本の相撲の世界。「ひもじい思いをしてはいないか。腹が減った時はこれで何か食べろ」という親心が工面した500円。大鵬は、生涯、母キヨさんからもらった、その大事な500円を生涯使うことができなかったという。子を思う親、また親を思う子の、熱い心根に、震えそうである!

司馬遼太郎の文章にもどりましょう!本文を読み上げます。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
ななめの画が、互いに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。

人間は、決して孤立して生きられるようには、つくられていない。
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳。
助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。

「やさしさ」 「おもいやり」 「いたわり」
これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして
それを身につけねばならない。

その訓練とは、簡単なことだ。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。

いかがでしょう! やさしさ、思いやり、いたわり・・

そんな心を作っていくには訓練が必要だと司馬さんは教えています。
そして、その訓練とは、例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい、という。

要するに、自分が友達からして欲しくない、自分がされて嫌だとおもう事は 絶対にしない、ということではないでしょうか。自分がしてもらって嬉しいと思うことを友達にもしてやるということです。

友達をいじめることなど、言語道断ですね。絶対にしてはいけない。したら必ず、いずれ自分に返ってくるものです。(つづく)

理事長 富吉賢太郎

2021.10.21

 


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