清和の窓から

2021.10.25

No.49  教養の時間の講話(下)「やさしさ」「思いやり」そして「にも・かかわらず」

さて、もう少し、時間があります。残りの時間、私の大好きなヒゲのお医者さん、鎌田實さんの話をしましょう。鎌田さんとのご縁は、かれこれ20年にもなりますが、以前、鎌田さんから送っていただいた一冊、皆さんに考えてほしいということで、「アハメドくんのいのちのリレー」という本を紹介しましょう。

この本は、2005年3月、パレスチナの難民キャンプで暮らす12歳の少年アハメド君が、進行してきたイスラエル軍に銃撃され、脳死状態になったのですが、アハメド君の父親は、アハメド君の肝臓、腎臓、肺、そして心臓を6人の子どもたちに提供したという実話がベースになっています。

脳死状態の息子アハメド君をだきかかえ、悲しみの涙をこらえながら臓器の提供を申し出る父親に、医者は、「臓器の提供者は相手を選ぶことはできません。もしかして、それはあなたの息子さんを撃ったイスラエル軍の子どもに移植することになるかも知れませんよ」と念を押すのですが、父親は「病気で苦しんでいる、誰か、どこかの子どもを助けてやりたい」と、臓器提供を決断したのです。

自分の子どもが宗教対立、宗教紛争の犠牲になって、とても辛かったはずなのに、国の違いや民俗の違い、宗教の違いなども、人の命の尊さに比べたら、それは、比べようもない、生きる命こそ尊いものだと、考えたのです。

鎌田さんは、このニュースを聞いて、そんなことできるのだろうか、と思ったそうです。脳死の息子はもうかえってこないのに、自分の息子を殺した敵の国の子どもを助けることになるかもしれない。なのに・・・。

普通はできない。にも、かかわらす、このお父さんは!

鎌田さんは、お父さんの気持ちを知りたいと、パレスチナの難民キャンプに行って、話をきいたのです。アハメド君の父親は、たとえ、敵国の子どもでも、今、病気で苦しんでいる子どもを、自分の子どもの臓器を提供することで、助けられるのなら、それが尊い。それができるのが人間なのだと!

鎌田さんも、父親の話、思いを聞きながら、そうか・・・、この「にも、かかわらず」の思い、行動、アクションこそ、人間の思いやりと優しさの原点ではないのかなと思ったそうです。どうでしょう!

鎌田さん、実は本当の親は知らない。昭和25年の春、まだ1歳の鎌田さんは、岩次郎さんという生活は苦しいけど心やさしき男性と、心臓病の長患いをしているふみさんという子どものいない夫婦に引き取られ、育てられたと教えていただきました。つまり、育ててくれた両親は実の両親ではないのです。

農家の末っ子の岩次郎さん。中学校にも行けず働いて、心臓病の妻を抱えて、すごく苦しかったそうです。「にも、かかわらず」、血のつながらない赤ん坊、實さんを育ててくれた。恩着せがましいこともなく、弱音も吐かず、泣き言もなく・・。

本当の自分の子どもじゃないにもかかわらず、本当の子ども以上に可愛がってくれた父と母。鎌田さんはそんな父母を思い、長野・諏訪の茅野市に感謝をこめて「岩次郎小屋」という山荘を建て、そこで暮らしておられました。

鎌田さんは、「僕は父に教わった〝にも、かかわらず〟という生き方が、ずっと僕の心の奥底に根付いていて、いつも、困難を生き抜くための力になっています」と語ってくださいました。

人に対する思いやりと、やさしさは、必ず、自分の力になって醸成されていくと思います。ぜひ、覚えておいてください。「にも、かかわらず!」という行動、言葉がけ、寄り添うことの大切さです。

思えば、日本はとても平和な国です。皆さんもそう思うでしょう。

紛争絶えない中東や、飢餓で苦しむアフリカ諸国に比べれば天国みたいな国かもしれない。しかし、そんな日本にも、残念なことに差別や偏見がある。学校には、いじめがある。会社には足の引っ張り合いがある。ご近所同士で悪口や陰口がある。そんなことをしても、いいことなんか何もない、とみんな分かっているのに・・・いがみ合う。のけ者にする。はぶいたり、はぶかれたり。

鎌田さんは、残念だけどそれがヒトという生き物だという。そんな人間の内側にひそむケモノが暴れないようにするには、どうすればいいのか! それには「にも、かかわらず」という行動をとることだと。司馬さんの教えとどこか似ていますね。

本当に「そうだ」と思います。どうでしょう、何か、感じるモノはありますか!

みなさんたちは、これから、必ず国際社会の中で生きていかなければなりません。民俗も宗教も関係なく、富める人も貧しい人も、誰とでも偏見なくつきあえる真の国際人になってほしいと思います。

最後に、もういちど繰り返しましょう。司馬さんは、誰でも、自分には厳しく、他人にはやさしくしなさいと言われています。そして、そのための訓練をしなさいと。その訓練をすることで、自己が確立され、そして、”たのもしい君たち”になっていくというのです。このことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえだと私も思います。

司馬さん、鎌田さん、偉い人の話は勉強になりますね。教養の時間でしたが、人間の教養というものが少しでも分かってくれたら、私も、話してよかったと思います。これで終わります。

理事長 富吉賢太郎

2021.10.25

 


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