清和の窓から

2020.02.28

No.22  過保護の怖さ

生まれたばかりのネコの赤ちゃんの片方の目に眼帯をかけて育てると、覆われた目は数週間で失明するそうだ。以前、何かの本で読んだ記憶がある。「見る」という刺激を眼帯という“目隠し”で遮断すると失明してしまう―という、この子猫の実験は人の育ちにも当てはまるような気がする。

眼帯は見方を変えれば保護膜である。子猫の失明は余計な保護膜によるもので、過保護の怖さということになる。幼児期から、かわいさ余って何でも保護してやっていると正常な発達が阻まれる。極端な溺愛はもっと危険である。

もう10年以上前になるが、何不自由ない裕福な家庭の青年が、少女に犬の首輪を付けて3カ月以上も監禁していた事件があった。少年のころから、いろいろ事件を起こす度に謝罪や慰謝料などの後始末を親が肩代わりしてきた。異常ともいえる家族の溺愛が、いつしか青年の心根をむしばみ、歪めてしまったのである。

子どもがバランスよく育っていくためには、その時々に必要ないろんな刺激がある。寒かったり熱かったり。石ころにつまずいたり、穴に落ち込んだり。しかし、溺愛や過保護は人の正常な精神回路がつくられる際に必要不可欠な入力刺激を遮断してしまうのである。

「人の育ちは三分の凍えと三分の飢えである」と江戸の儒学者・貝原益軒は、苦しさつらさに耐える辛抱・我慢と、欲望が満たされない飢餓意識の必要性を説いている。今、子どもたちの周辺に“凍えと飢え”を与えてくれる人は誰なのか、ふと思うときがある。

理事長 富吉賢太郎

2020.02.28

 


TOP