本のある風景
No.48 碇浩一・著「イカリ少年がもらった奇跡の手紙」(青春出版社)
著者は精神科医で元福岡教育大教授。〝帯〟には「お医者さんが書いた夢をあきらめないノンフィクション」「お医者さんの道を選んだ病室での8年間」とあるが、開いてみると想像をはるかに超えて、すごい本でした。
普通に健康な体で生まれて3、4歳になると、だいたい誰でも幼稚園か保育園に。そして6歳で小学校に入学。6年間の小学生活を終えたら中学、高校と過ぎて、その後は大学に行く人、専門学校で学ぶ人、就職して社会に出る人と、それぞれの道を歩いて行く・・・。
つまり、普通は小学生から高校までおよそ12年間は学校で勉強して大人になっていくのですが、イカリ少年は義務教育9年間のうち、みんなと同じく学校に行けたのは中学3年の1年間だけ。残りの8年間はほとんど病院のベッドの上での生活だったのです。
イカリ君は、ひらがなを覚える前に発病。子ども時代は結核という病気との二人三脚だったのです。だがら、イカリ君は当時の知能テストで最低の子どもだったそうです。そんなイカリ君が、普通の学校に行けず高松療養所内にあった保健学級で、同じく結核療養で通院しながら病院の保健学級の先生をしていた北岡昌子先生と出会って、先生から励まされ、ほめられ、一つひとつ頑張って、難関の九州大学医学部に進学。立派な精神科医になるのです。
「僕は普通の親ならひどくがっかりするほどできの悪い、ぼーっとしたハナタレ小僧だった」というイカリ君。でも、寝たきりの布団の中で大好きな本をいっぱい読んだこと、病院で周囲の大人によく愛情を持って怒られていたこと。そして北岡先生という女先生と出会ったこと、これが自分を前に進めてくれたそうだ。
イカリ君のような病気の子どもたちを決して特別視しない北岡先生がどういう先生だったか、それがよく分かる箇所がイカリ君の言葉で書かれていました。
「『君は病気なのだから何も無理することはない』の代わりに北岡先生は『このくらいはできるはず。わからなければ教えてあげるから大丈夫』と言ってくれました。また、問題が分からずにふてくされていると、『やっぱり君には無理か』ではなく、『でも、ここまでできたんだからえらいじゃない。ここはね・・・』と根気よく教えてもくれたのです」
北岡先生から励まされたイカリ君。「勉強は国語が一番大変。言葉というのは多義的で、言葉のつながりでも意味が変わってしまいます。それを一から覚えようなんて思ったら大変なこと。でも本をたくさん読んでいれば、その辺のことが感覚として身についています。文章力はもちろん読解力、思考力、想像力、それらすべてを読書が培ってくれます」
北岡先生の感動の手紙だけでなく、勉強のヒントももらえる一冊です。
理事長 富吉賢太郎