本のある風景

2020.01.15

No.20 後藤正治「奇跡の画家・石井一男」

67歳(現在75歳)になる「石井一男」という男の物語。神戸市在住で独身。夕刊を駅に届けるアルバイトで生計を立て、好きな絵を描いている。

この男性と、神戸市内でギャラリーを営む島田誠氏との出会いが一つの〝奇跡〟を生んだ。優れたノンフィクションを数多く書いている後藤氏がなぜ「石井一男」という無名の中年男を取り上げたのか、その訳はすぐ理解できる。

今から十数年前、初めて石井の絵を見た島田氏の驚きについてこう書かれている。「これは素人の手遊びとはとても言えない。これだけの絵を描ける人が49歳まで、どこにも作品を発表せず、完全に無名でいたとは信じられない」

とにかくその絵を見たい。そんな衝動にかられた。東京で「石井一男」の絵を見ることができる所は3カ所だけ。そう書いてあったので、東京出張の折、本郷5丁目の「ギャラリー愚怜」と銀座3丁目の「枝香庵」を訪ねた。孤独な魂が丹念に塗り込まれたような3号ほどの女性像に圧倒された。

「石井一男」は島田氏との出会いで絵が売れ、プロの作家となった。それは大きな変化だが、これまでと同じ古い棟割り長屋に住み、月10万円足らずで絵を描く暮らしは今も変わらない。描きたいから描き、売り上げの寄付も欠かさない。

後藤が言う〝奇跡〟とは「石井一男」という画家の希に見る精神性と、今や死語になってしまった「清貧」という言葉通りのその生き方を指すのである。わが家私の部屋には5年前、福岡で開かれた個展で買い求めた3号の石井一男の絵が掛けてある。何でもまじめに打ち込むことの大切さを思う。

理事長 富吉賢太郎

2020.01.15

 


TOP